怪文書

オタクに幸あれ

限界オタク、推しとハイタッチをする

 さめざめと泣いてしまった。

 炎天下の横浜、人目と暑気から逃げるように飛び込んだカフェで。

「夢路には足も休めず通へども現に一目見しごとはあらず」千年以上昔の言葉を借りてくるしか、この気持ちの表しようがない。

 2018年7月、人類*1は、ついに2次元キャラクターとのハイタッチ会を実現させた。そして私は、人類の代表として、天宮奏くんとのハイタッチを体験した。

 

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 本来2次元に存在しているキャラクターを、3次元に「いる」と感じたことはあるだろうか。

 VR鑑賞は、そう感じさせてくれるひとつの手段である。だが、そもそもVRとはなんなのだろうか。

 日本バーチャルリアリティ学会によると、VR=「バーチャルリアリティ」は下記のように定義されている。*2

バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary によれば,「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている.つまり,「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」

 バーチャルの反意語は,ノミナル(nominal)すなわち「名目上の」という言葉であって,バーチャルは決して リアル(real)と対をなす言葉ではない

 そもそも人間が捉らえている世界は人間の感覚器を介して脳に投影した現実世界の写像であるという見方にたつならば,人間の認識する世界はこれも人間の感覚器によるバーチャルな世界であると極論することさえできよう

人が何をバーチャルと思うかも重要な要素である.つまり人が何をその物の本質と思うかによって,バーチャルの示すものも変わるのであると考えられる.バーチャルリアリティは本来,人間の能力拡張のための道具であり,現実世界の本質を時空の制約を超えて人間に伝えるもの

 要約すると、バーチャルリアリティとは「時間も空間も超えて繋がっているって感じられる」*3ものなのだ。

 

 私が体験した天宮奏くんとのハイタッチ会は、2次元オタクが住んでいる主観的現実の世界で行われたものではない。

 真夏の横浜、ライブ後に用意された別室、扇風機から送られてくるささやかな風、DearDreamのBGM、周りには同じようには当選したファンが数十人、髪型とメイクと服装を最終チェックできるよう置かれた姿見。スタッフさんからアクセサリーを外して荷物を置くよう注意があって、順番待ちのファンからは見えないようにされた衝立の奥へ進むと一段高いところへ上がるように言われ、天宮奏くんがいて、少し高いところにあるめちゃくちゃにかわいいお顔についているお口からなんか言葉が発せられて、たぶんハイタッチをして、そのあとたぶん手を振ってくれて、そのときにたぶんウインクもしてくれて、いつもはぱっと花が咲くように華やかな笑い方をする人が、まるで私を慈しんでくれているかのように、穏やかな瞳で優しく微笑んでいて、一瞬にも永遠にも感じられるような時間があって、そこから先の記憶がなく、気付いたらカフェの椅子に座っていた。友人に話をしていると涙が溢れて止められなくなった。

 私の脳内で取られた一人相撲では決してない。証人がたくさんいる、明らかな客観的現実。天宮奏くんは紛れもなくREALであった。リアルだけどバーチャルリアリティバーチャルリアリティがリアル。気が狂った。

 いる、と感じられた嬉しさ。ハイタッチした瞬間の、わかってはいたけどもいざ触れてしまうとやっぱり液晶でしかないという遣る瀬なさ。この2つの感情がいっぺんに襲来してくるので、心の中がぐちゃぐちゃになり、泣くしかなかった。

 

 VRの未来については、このような意見がある。*4

人工知能の発達が進む中で、ホログラフィックのようなヴァーチャルキャラクターにAIが搭載される事例は増えていくでしょう。本来存在しないキャラクターがAIという頭脳をもってライブをしたり、お客さんと会話をしたりすることが可能になると思う

 はたして限界オタクはどこまで人間の尊厳を保てるのか。10月21日より先の未来で知りたい。

 

 

 

*1:人類……ドリフェス!の光を浴びた生命体のこと

*2:日本バーチャルリアリティ学会 » バーチャルリアリティとは

*3:

ALL FOR SMILE! 〜DearDream & KUROFUNE ver.〜

ALL FOR SMILE! 〜DearDream & KUROFUNE ver.〜

 

*4:https://cgworld.jp/feature/201710-cgw231HS-dmmdf.html

幸福な承認と、ありのままの私と。

 

「世界一の宝物だよ。今までで一番キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」

 これだけ聞いて、「宝物」は何をさしていると思うだろうか。恋人? 仲間? 違う。

 ファンなのだ。アイドルが、自分たちのライブに来たファンのことを、キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好きだと言う。

 これはドリフェス!アプリの劇中劇に出てくる台詞だ。ドリフェス!プロジェクトの神髄は、この一言に詰まっていると思う。ファンが実際にそう感じているんだから間違いない。ドリフェス!から受け取る“承認”は、ファンをいつも幸せな気持ちにしてくれる。

 

ファンに当事者意識を持たせる

2010年代のオタクは、推しに毎日会えるようになった……!*1

 猫も杓子もソーシャルゲーム化の時代。2次元オタクは、スマートフォンを触りさえすれば、職場のトイレでも“推し”と会えるようになった。

 ドリフェス!は、そんな数多あるソーシャルゲームのひとつだ。だが、おそらく唯一無二といえる偉業がある。それは、2次元オタクにオタクとしての居場所を作ったことだ。

 アイドルはファンに衣装を着せてもらえないと舞台で輝くことができない。客席にファンがいなければライブは成立しない。ドリフェス!に関わっているとき、ファン自身も、“ファンとして”アイドルのステージを作り上げる当事者に仕立て上げられているのだ。

 

 その世界観は、さまざまな展開をするドリフェス!のすべてに共通している。

 思い返せば、ファンミーティング03で販売されていたバッグに「FAN & ME」と書かれていたことが、長く心にひっかかっていた。配信映像で見たファンミーティング02のTシャツには「DearDream KUROFUNE ...and YOU!!」とあった。ライブ会場で、舞台上だけでなく客席も含めてこのメンバーでライブができるのは一回きり、同じライブは二度とない、と強調するところが印象的だった。BATTLE LIVEでのバンドメンバー紹介の最後、「そして……お前らだ!」と呼ばれたことで、涙が溢れそうになった。

 ただし、アニメは完パケ済みのドキュメンタリーという設定なので、ライブの客席にいまの自分を座らせることはできない。また、物理的に参加できる3次元のライブはあくまで3次元での出来事であり、2次元のキャラクターがおこなうライブとは異なった性質を持っている(※DearDreamとKUROFUNEというアーティストは、2次元と3次元にそれぞれパラレルで存在していると考えてほしい)。

 

 しかし、アプリは違う。常に最新の当事者でいられる場がアプリなのだ。

 ドリフェス!アプリのリズムゲームは、ファンである自分が、いま、ライブに参加している設定だ。自分の選んだ衣装が楽曲のイメージに合っているかどうかでライブの盛りあがり方(ゲームのスコア)が変わる。タップがうまくできる、イコール、ペンライトの振り方やコールがうまくできたということになる。ミスが多ければ、ライブを盛り上げられなかったということになる。ファンとしての自分の力(強い衣装を手に入れる財力と運、リズムゲームの技術)が必要とされるのである。

 ドリフェス!界のミスターアイドルこと佐々木純哉くんは言った。「俺をアイドルにしてくれてありがとな!」と。アイドルの道を選んだのは彼自身であり、念願叶ってプロのアイドルになれたのは彼の努力があったからだ。それでも、「アイドルは応援を届けてくれるファンがいないと成り立たない」と言い続け、ファンがその場にいることの正当性を認める。こうしてファンは、マズローの言うところの「承認・尊重の欲求」を満たされるのだ。

 

 

 

ありのままの私の承認

 ドリフェス!のファンは、アイドルの彼らに「大好きだよ」「愛してるぜ!」と言われるために、2次元の美少女に成り代わる必要は一切ない。ドリフェス!の前では、オタクはありのままの自分でいて良いのだ。

 だから私も、千葉に住む平凡な会社員のままで良い。現実を生きる私が、ライブへ行き(リズムゲーム)、友達と会って(フレンドへの挨拶)、ランダムブロマイドを現金で買って(ドリカショップのガシャ)、空き時間に配信番組を見て(チャンネル)、ポスターやぬいの並ぶ部屋(マイルーム)に帰る。時には部屋を片付けて、その日の気分で缶バッジを並べ替える。現実に即したオタク生活を送れるのがドリフェス!アプリだ。しみじみ、ドリフェス!のアプリはシステマティックで無駄がないと思う。なのに、夢が詰まっている。天才。

 そんなフレーズの入った歌が流行ったのももう4年も前になるらしいが、現実の、ありのままの姿で2次元キャラクターを応援できるのは、究極の自己投影といえるだろう。この“承認”により、3次元の自分と2次元の世界が時間も空間も超えて繋がっていると感じられてしまう。普通に気が狂う。

 

 

 私は、自分の承認欲求はかなり満たされていると感じていた。人間関係での悩みもなく、仕事は順調で、SNSともうまく付き合えている。

 ただ、2次元からの承認だけは諦めるしかなかった。どれだけ好きな2次元のキャラクターがいても、3次元に生きる私そのものの存在を認められて、大切だと言われるなんてことはありえない。この昇華しきれない想いを一生抱えていくしかないと思っていた。

 その考えが、ドリフェス!と出会って一変した。ただのオタクである私を、「キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」と、「ライバル」と、「オレたちの夢」だと言ってくれた。ただのオタクに、居心地の良すぎる場を作ってくれた。好きという気持ちを肯定して、受け止めて、返そうとしてくれる。

 ドリフェス!の好きなところを挙げたらきりがないけれど、私は、ありのままの自分でいられる心地良さが一番好きだ。

 

 

 2週間、どうしたいのか、何ができるのかをたくさん考えた。

 私の願いは、自分が大好きで、ものすごく幸せを感じさせてもらっているこのプロジェクトを、他の誰からも「失敗だった」と思われたくない、というものが一番大きいらしい(というのは綺麗事で、私の居場所であるドリフェス!終わらせないでほしいのが第一)。

 この幸福な“承認”を消えさせたくない。他の多くの人にも感じてほしい。だからちょっとだけ、ドリフェス!にふれてほしい。自分自身に対する価値観が変わると思う。

 

関連記事

アイドルのハッピーエンドを考える

 私が「無理っしょ」と思っても、「イケるっしょ!」と返してくれるイマジナリー天宮奏くんは出てきてくれなかった。彼はーーもうひとりの彼は、一度ぐっと言葉に詰まりながら、9時間前に見た悪夢の続きを私たちに伝えた。

 2018年3月5日、21時すぎの話だ。

 3次元の彼らは役者だから、あの表情はすべて演技だったのかもしれない。ならばあっぱれだ。でも、「すべてはキミの笑顔のために」と謳って、歌ってきたプロジェクトの「一旦の区切り」を告げる場にわざわざあの顔を作ってきたというのなら、芸能人やめちまえ、って思う。

 

 アイドルは、どういったさいごを迎えれば、ハッピーエンドと言えるのだろうか。
 フィクションの乙女ゲームならば、アイドルと主人公の幸せな未来が描かれてハッピーエンド。12話で終わるアニメなら、デビューが決まったり、ライブが成功したりする最終話がそうだ。
 では、ノンフィクションのアイドルには、「“応援”プロジェクト」のアイドルには、どんな幕引きがふさわしいのだろう。

 私は、テレビで流れてきた映像でしか、アイドルのおわりの瞬間を見たことがない。人気絶頂のなかステージにマイクを置いて辞めた人がいた。問題行為を起こして芸能界を去った人もいた。知らないうちに解散していた人たちもいた。優勝という最終到達点をもつスポーツ漫画とは違う。大団円を迎えたアイドルは、きっとそんなに多くない。

 

 3月5日の12時と21時、その報を受けたとき、とても悲しかったと同時に、なんという綺麗事なのだろうと思った。(「綺麗事」は、「実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。」と「手際よく美しく仕上げること。」という2つの意味をもつ*1が、そのどちらにも当てはまる。)

 アーティストが、目標のひとつであった武道館ライブで、ファンに惜しまれながら、「一旦」の「区切り」を迎える。美しい幕引きではないか。私の理性はそう言う。

 彼らに定められていたゴールがどこなのか、オタクには知る術などない。1st LIVEのBD*2には「ゴールってのはないんだけどね」というコメントがしっかり収録されているので、少なくとも彼らは、この時点では明確なゴールを描いていなかっただろう。

 活動期間2年半のうち、私は半年しか知らない。

 でも、今年15周年を迎える2.5次元開拓者のテニミュは、2年半で何してたと思う? ファーストシーズンの関東氷帝公演だよ。あいつこそがテニスの王子様の、あの公演だよ。全然じゃん、まだまだこれからじゃん。ここからのぼりつめたんじゃん。だから、宇宙初の5次元アイドルであるドリフェスくんも、2年半より先を考えてもよかったと思わずにはいられない。

 

 1st LIVEはR1話、R11話はツアーに繋がった。アニメはハッピーエンドで幕を閉じ、その先の物語はアプリに繋がっている。

 では、アプリのほうはどうすればハッピーエンドになるのか。You are my RIVALは、Whole New Worldは。慎と純哉のほぼ個人イベストがあったんだから、残りの5人にだって用意されていたんじゃないのか。ツアーを振り返るミラステはどうなる。ウサギ耳ネコ耳ばっかり出しやがって、もっとイヌ派のフォローもしろ。消化不良だ。

 このあと武道館を匂わせて、3次元にバトンパスして。そして3次元を締めて「区切り」か。それがドリフェス!プロジェクトの選んだハッピーエンドか。その潔さ良し、武道館ライブが2+3−2次元にならないような演出ならば受け入れるしかないけれど、「けれど」の逆接付きだ。「けれど」の先の感情は、まだまとまらない。

*1:綺麗事(きれいごと)の意味 - goo国語辞書

*2:

世の中はユメの渡りの浮橋か

 パシフィコ横浜が怖かった。

 あの会場は、ちょうど10年前に「100曲マラソン」が開催された場所だ。「100曲マラソン」とは、漫画『テニスの王子様』の週刊連載が完結した約2週後に開催されたイベントだった。

 許斐先生が皆川さんの手を取って階段をのぼっていったとき、ああ、私たちの前にいた越前リョーマが、かみさまのもとへ帰っていくんだな、と思ったことを鮮明に覚えている。

 公演後は、会場外でぼんやり海を眺めるファンの背中がせつなくて、また泣いた。楽しさと悲しさと幸せと喪失感がまとめて襲ってくることに対応できなくて、ぼろぼろになって2日間寝込んだ。

 パシフィコは、私の目の前から大切なものをどこかへ隠してしまった、恐怖の会場だった。

 

 

 今回も“最終日”はパシフィコだった。

 私がドリフェスを好きになったのは、すでにツアーの詳細が発表された後だったが、長くファンをしている方が言うに、当時は「ツアー!わーい!……えっ、パシフィコ……埋まるの…………?」という雰囲気だったらしい。そこから、すべてを閉じてしまうのではないかというおそれもあったと聞く。

 確かに、このプロジェクトに、ほんのわずかだけ、一瞬のはかなさを感じていたことは間違いない。それは私がドリフェスを知ったとき、ハンサムの世代交代がおこなわれていたからだ。乱暴な言い方をしてしまうと、いろいろなものには寿命がある、と感じていた。

 だから、2月26日は仕事に行ける気がしなくて、横浜に宿を取った。夢から醒めたくなかった。

 

 

 だが、そうはならなかった。

 誰かが「日常のつらいことも、DearDreamとKUROFUNEを見ているときくらいは全部忘れて」と言った。誰かが「明日へ連れていってあげる」と言っている。

 ツアーが終わったら泣いて立てなくなるかもしれない。またパシフィコ横浜で「よーし!みんなで死ぬか!」という気持ちになるかもしれない。事前のそんな不安はすべて杞憂に終わった。

 DearDreamはファンを泣かせにこなかった。DearDreamは、ファンを笑顔にするのだ。ぽろっと「お疲れさまでした」と言ってしまうとか、もう喋ることがないからと万歳三唱をさせてくるところとか、もっと歌ってほしいと叫ぶファンを「だめ!」と一喝するとかの面白さもあるけれど、歌声と笑顔と、彼らを構成するありとあらゆるものでファンを笑顔にしてくれる。私が笑顔になったところで真顔だった人も泣いていた人もいるんだろうけど、受け取る感情は人それぞれなのでそれで良いと誰かが言っていた。

 だから、楽しかったなあという気持ちで会場を出られたし、終演後に友達と食べたカレーうどんはすごくおいしかった。休もうと思っていた仕事に、うちわの入ったカバンを持ったまま向かっている。

 ドリフェスプロジェクトが強く意識しているという「地続き感」を、ここにも見た。ライブ中というユメの時間だけ彼らの世界と私たちの世界が地続きになるのではなく、私たちの日常生活とライブも繋がっているのだと思う。ドリフェス!R11話の天宮奏くんのMCを全部ここに引用したいくらい、あの言葉が響いている。アイドルってすごい。日常へ戻ろうと思わせてくれるんだよ。こんなのアリかよ。びっくりだよ。

 

 きのう、パシフィコ横浜は、私にとってかけがえのない場所になった。私たちは、あの場所でドリフェス!Rのまぼろしの12話の目撃者になったのだと思う。

 

 しんみりポイントがなかったとは言えないが、愛知から帰ってきたときの自分の言葉を思い出して、今日も明日も生きていく。ありがとうDearDream、ありがとうKUROFUNE、ありがとうドリフェス!プロジェクト。

ドリフェスは常に「今が最高」と思えるコンテンツだから、これ以上の幸せを考えられなくて、気を抜くとしんみりしちゃうんだけど、それはともかくDearDreamが大好きなんだよ

ダイアリー オブ フリーティングドリーム

 私の弟が産まれる前、母は「今この子(私)ひとりに注いでいる愛情が半分になってしまうことが怖い」と言ったらしい。それを聞いた父は「愛情は2倍に増えるから大丈夫」と返したそうだ。

 そんなことを思い出しながら、この日記を書いている。

 

 

9月16日(土)

★テニラビ試遊会@新宿
 プレイステーションパラッパラッパー以来まともにリズムゲームをしたことがなかったので、降ってくる球に混乱しただけで終了。
★ランチ@渋谷タワレコカフェ
 友人に試遊会の話をすると「他のゲームで練習しとけば?」と言われる。女アイドルのなにかを勧められたが、萌え声苦手だからなあ、などと文句を言いながら帰路につく。

 

9月17日(日)
 スマホをいじっていたところ、リズムゲームをしよう!という気分になる。
 ドリフェスに遭遇したのはこのときだった。
「去年のハンサムで見たやつだ」というのが第一印象。次に、絵が好みだと思った。そのあと、iTunes Storeの評価を見て、これだと思った。この評価を書いてくださった方が、私とドリフェスを引き合わせてくれたと言っても過言ではない。

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 私は乙女ゲームをするし、夢女でもある。だが、乙女ゲームに関しては『ときめきメモリアルGirl's side』シリーズこそが頂点であり、他の誰が何を作ろうとこれを超えるものはないと思っているので、中途半端な(※主観です)乙女ゲームの要素がない、のにイケメンがいっぱい出てくる、というドリフェスは、文字通り夢のコンテンツだった。
 しかもハンサム。好きでしょ、絶対。即インストールした。聞いたことがないに等しい楽曲なのに、めちゃくちゃ面白かった。この日のうちに2000円課金して、裸ドリカのトップスを引いた。裸ドリカで頭がいっぱいになり、ラジプリを聞くことができなかった。

 

9月18日(月・祝)

 とりあえずYouTubeでアニメ一話を見た。リアリティのある声と演技、軽快なテンポで進むストーリー、ドリカタイム、ライブシーン、全部ドツボだった。しかし、お金を出してこれ以上観るかどうかはもう少し咀嚼してからにしようと一旦落ち着く。

 公式ホームページを舐め回すように見て精神の安定を試みた。天宮奏のプロフィールで「高校2年」とされていた欄が「ー」になっている佐々木純哉を見て、中卒か!? と興奮したことを覚えている。平成も終わろうとしているこの時代に中卒金髪アイドル。これはまずい。好きに決まってる。まったく落ち着けなかった。またアプリに課金した。薔薇のズボンが出た。

 夕方、ツイッター内を「ドリフェス」で検索。なにやら「ファンミ」なる聞きなれない言葉が飛び交っている。今日はイベントが開催されているらしい。時すでに遅し、しかし得体の知れない衝動に駆られ、近所のゲームセンターへ筐体を叩きに向かう。グローリーストーリーの「ちょっとばかりの」の振り付けがかわいくて永遠に見ていられると思った。お札がたくさんの100円玉に替わって、そのあとまた厚紙になった。

 アルバムを見てみたら、一番古いスクショはこれだった。私とドリフェスの歴史は裸ドリカとともにある。

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9月19日(火)

 人生で初めて、通勤電車の中でリズムゲームをした。

 

9月20日(水)

 耐えきれずdアニメストアに登録。一期のアニメを4話まで視聴する。

 

 9月21日(木)

 家を出る前にアニメ5話と6話を見る。

 一日中、トラフィックシグナルに「THRILL」を歌ってほしいということばかり考えていた。帰宅後にアニメ一期を完走。10分足らずの間に「モブから殴られる男を男が助ける」というやつの両方のポジションを2人がやってのけたKUROFUNEに、開いた口が塞がらなかった。午前2時に泣きながら12話を見終えたときには、完全に魂がイカれていた。

 

9月22日(金)

 もはや仕事のできる精神状態ではなかった。帰宅後、その時点の最新話であるR5話まで視聴。

 

9月23日(土)

 オタク作業を終えたらDMMシアターへ行こうと決め、10月1日に完成させる予定だったものを意地で仕上げる。作業中はずっとドリフェスのアニメを流していた。

 夜中、朦朧としたまま翌日のDMMシアタートラシグ回を予約した。

 

9月24日(日)

★イリュージョンShow Time @DMMシアター

 出かける準備をしているときに、午前の回が機材トラブルで中止となったとの報が入る。もしかしたら、私がドリフェスを好きになることについて、神様がNGを出しているのかもしれないと泣いた。が、トラシグ回は無事見られたので、神様は私の背中を押しているんだと思った。

 一度訪れたことのある会場ではあったが、「いる」感覚があまりにも強くて、小さい体を屈めてファンサしてくる千弦がかわいすぎて、バードケージのときの脚が良すぎて、気を失いそうだった。

 周りの人たちが持っていたドリカ型ペンライトが羨ましくて羨ましくて、欲しくて欲しくて、帰りの電車で取引用の捨てアカを作り、ファンミ大阪公演のチケットを譲っていただくことに成功した。

 

9月30日(土)

★ファンミ03@大阪・堂島リバーフォーラム

 一週間以上、家にいるときはずっとドリフェスのアニメを見ていて、毎日2時間くらいしか寝ていなかったが、なぜか肌がツヤツヤピカピカだった。女の肌をきれいにするのは食事よりも睡眠よりもときめきだ。最高のコンディションで初の3次元イベントに参加した。

 念願のドリカ型ペンライトを手に入れたことで、天にも昇るような気持ちだった。ドリカが売り切れていたので怒り狂いかけたが、入場特典として一枚貰えたので事なきを得る。

 ドリフェスのイベントには初めて来たはずなのに、既視感があった。なぜだろう。そうだ、アミューズだ。ハンサムライブやThe gameで感じたことのある雰囲気が、そこにはあった。アニメの声優イベントではなかった。アミューズなのだ。勝手知ったるアミューズの若い男のイベントだ。DMG歌うかと思った。アウェイじゃない、私はここにいても大丈夫だ、と気付いた瞬間から、もうめちゃくちゃに楽しかった。本当に悔しいけど戸谷くんにメロメロになって会場を出た。もともと水田航生くんのファンだったのだ。これは仕方ないだろう。許してほしい。

 

10月1日(日)

★うちわ配布

 朝イチでてっぺんへ行く。その足で池袋のうちわ配布に参加した。めちゃくちゃオタクしてる。

 

10月7日(土)

 一緒にオタクイベントへ参加した後輩から「どうしちゃったんすか!?」とドン引きされる。だがこの後輩も数か月後にはドリカライトを振ることになる。

 

10月9日(月・祝)

 四半世紀以上の付き合いがあり、中学時代をともに氷帝学園夢女として過ごした幼馴染と買い物に出かける。ドリフェスでヤバイ状態にあることを話すと、「あなたをそこまで狂わせた男が見たい」と、その場でアプリをインストールしてくれた。2か月後に会ったとき、彼女は追憶のロンドンをきちんと走っていた。

 

10月14日(土)〜16日(月)

★京都旅行

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 新幹線で食べる昼食にマグロとエンガワの寿司を買っていた。ぬいに慣れていないので写真の撮り方がひどい。

 薄々感づいてはいたが、ドリフェス知名度が低いことに改めて気付かされ、ブログを書こうと決意する。ドリフェスのこと知らない人なんでこんなにいるんだよ、おかしいだろ、とドリフェスを知って1ヶ月の身ながらも思った。

 

10月26日(木)

 Amazonから一期のBD全巻が届く。これにともないdアニメストアを解約するが、流れるようにアニメイトチャンネルへ行く。

 

10月29日(日)

 前述の記事を公開。その節はたくさん見ていただきありがとうございました。

 

11月1日(水)

ドリフェス!R 11話先行配信日

 頭が痛くなるくらい泣いた。ドリフェスのことがめちゃくちゃ好きで、もはや熱に浮かされた一過性の恋ではなく、愛になっていると気付いてしまった。(ポエム)

 

11月3日(金)

★AGF

 存在を知ったときにはAGFのチケットが売り切れていたので、噴水広場だけ観に出かけた。現地でナンパしたお姉さんにひっつきながら見た薔薇の三銃士。前にいた人が「よかったらどうぞ」と場所を譲ってくれた薔薇の三銃士。薔薇の三銃士のことは一生忘れない。

 

11月4日(土)

★六角チムパ

 めちゃくちゃ面白くて、頬を叩かれたような衝撃を受ける。もしかしたらこの一ヶ月半、私は夢を見ていたのかもしれない。

★クロスドリームツアー

 夢じゃなかった。DearDreamは現実だったし、DearDreamを大好きな自分の気持ちも現実だった。

 同じテーブルになった女の子をナンパしたらツアー全通だと言うのでハッとなり、慌てて全公演申込む。

 

11月25日(土)

★クロスドリームツアー

 なぜか付いてきてくれたテニスの友人とともに風間圭吾に大はしゃぎする。

 

12月2日(土)

★イリュージョンShow Time @DMMシアター

 WM回。リアル女児が「かなでく〜ん」と声を出したので会場がほわハピに包まれた。

 

12月9日(土)

★イリュージョンShow Time @DMMシアター

 キャストが来たKUROFUNE回。席がめちゃくちゃ前の方だったのであまり記憶がない。戸谷公人くんの顔が良かったことだけ覚えている。

 

12月10日(日)

 友人を車に乗せ高速道路を走りながらドリフェスアニメを見せたところ、青いものを見た瞬間に「えんがわ」と言うようになる。

 夜中にてっぺんへ行ったらドリフェスのオタクがいっぱいいた。てっぺん、いつ行ってもドリフェスのオタクがいる。

 

12月17日(日)

 後輩のジャニオタとドリフェスを鑑賞したところ、やはりことあるごとに「えんがわ」と言うようになる。夕飯は回転寿司になった。えんがわの即効性は一体なんなのか。

 

12月23日(土)

★イリュージョンShow Time @DMMシアター

 トラシグ回。やっぱり、天宮奏くんは、いる。江戸時代だったらDMMシアターは民衆の心を惑わすものとして取り壊されていただろう。ドリフェスくんと平成の世で会えてよかった。

 

12月24日(日)

★ハッピーメディアクリスマス

 この日、私が15年間信仰の対象としてきた神様は言った。「テニプリのほかのアニメとかを好きでもいいんだよ」と。想像力豊かなオタクなので、私に言っているのだと思った。テニプリは歴史が長いだけあって、ジャンルをかけもちしている人もいるし、一度離れてからまた戻ってくる人も多いし、なんと出戻りオタクを迎えるキャラソンまである(不二周助「おかえり」)。神様は、そんな人間をーーいつかそうなるかもしれない私をーー許すのだ。

 触れられるほど近い彼の姿を網膜に焼き付けた。この優しい人に、少し時間を置いてまた会いに来よう。そう思った。

 

 

 そして今に至る。

 人間って変わる。

 アクセサリーもスマホのケースも、カバンも爪もスニーカーも、水色だったものがぜんぶ赤色に変わった。これまで築いてきた自己が崩壊して、新しい人間に生まれ変わっているような気持ちがする。

 テニプリだけを愛していることが自分のアイデンティティだと思ってきたけれど、いま、ドリフェスのライブ会場で、好きという気持ちが涙になってぼろぼろ溢れてくるくらいに、ドリフェスのことが大好きになっている。私が私ではなくなってしまったみたいだ。

 でも、好きなものはひとつでなければいけないわけじゃない。冒頭で書いた両親のやりとりのとおり、好きなものが増えれば、きっと愛情をためておく器も大きくなる。私は弟と比べて愛情が足りないなどと感じたことはないし、弟を見ていても、ああこいつも親に愛されてるんだなと思う。愛情って無限に増えるのかもしれない。

 

 私は、自分が自分でなくなる気持ち良さと気持ち悪さでぐちゃぐちゃになりながら、ものすごい覚悟でこのツアーを回っている。私をここまでさせたんだから、横浜のあともまた新しい明日を見せてね、DearDream。これからもよろしくね。