怪文書

オタクに幸あれ

世の中はユメの渡りの浮橋か

 パシフィコ横浜が怖かった。

 あの会場は、ちょうど10年前に「100曲マラソン」が開催された場所だ。「100曲マラソン」とは、漫画『テニスの王子様』の週刊連載が完結した約2週後に開催されたイベントだった。

 許斐先生が皆川さんの手を取って階段をのぼっていったとき、ああ、私たちの前にいた越前リョーマが、かみさまのもとへ帰っていくんだな、と思ったことを鮮明に覚えている。

 公演後は、会場外でぼんやり海を眺めるファンの背中がせつなくて、また泣いた。楽しさと悲しさと幸せと喪失感がまとめて襲ってくることに対応できなくて、ぼろぼろになって2日間寝込んだ。

 パシフィコは、私の目の前から大切なものをどこかへ隠してしまった、恐怖の会場だった。

 

 

 今回も“最終日”はパシフィコだった。

 私がドリフェスを好きになったのは、すでにツアーの詳細が発表された後だったが、長くファンをしている方が言うに、当時は「ツアー!わーい!……えっ、パシフィコ……埋まるの…………?」という雰囲気だったらしい。そこから、すべてを閉じてしまうのではないかというおそれもあったと聞く。

 確かに、このプロジェクトに、ほんのわずかだけ、一瞬のはかなさを感じていたことは間違いない。それは私がドリフェスを知ったとき、ハンサムの世代交代がおこなわれていたからだ。乱暴な言い方をしてしまうと、いろいろなものには寿命がある、と感じていた。

 だから、2月26日は仕事に行ける気がしなくて、横浜に宿を取った。夢から醒めたくなかった。

 

 

 だが、そうはならなかった。

 誰かが「日常のつらいことも、DearDreamとKUROFUNEを見ているときくらいは全部忘れて」と言った。誰かが「明日へ連れていってあげる」と言っている。

 ツアーが終わったら泣いて立てなくなるかもしれない。またパシフィコ横浜で「よーし!みんなで死ぬか!」という気持ちになるかもしれない。事前のそんな不安はすべて杞憂に終わった。

 DearDreamはファンを泣かせにこなかった。DearDreamは、ファンを笑顔にするのだ。ぽろっと「お疲れさまでした」と言ってしまうとか、もう喋ることがないからと万歳三唱をさせてくるところとか、もっと歌ってほしいと叫ぶファンを「だめ!」と一喝するとかの面白さもあるけれど、歌声と笑顔と、彼らを構成するありとあらゆるものでファンを笑顔にしてくれる。私が笑顔になったところで真顔だった人も泣いていた人もいるんだろうけど、受け取る感情は人それぞれなのでそれで良いと誰かが言っていた。

 だから、楽しかったなあという気持ちで会場を出られたし、終演後に友達と食べたカレーうどんはすごくおいしかった。休もうと思っていた仕事に、うちわの入ったカバンを持ったまま向かっている。

 ドリフェスプロジェクトが強く意識しているという「地続き感」を、ここにも見た。ライブ中というユメの時間だけ彼らの世界と私たちの世界が地続きになるのではなく、私たちの日常生活とライブも繋がっているのだと思う。ドリフェス!R11話の天宮奏くんのMCを全部ここに引用したいくらい、あの言葉が響いている。アイドルってすごい。日常へ戻ろうと思わせてくれるんだよ。こんなのアリかよ。びっくりだよ。

 

 きのう、パシフィコ横浜は、私にとってかけがえのない場所になった。私たちは、あの場所でドリフェス!Rのまぼろしの12話の目撃者になったのだと思う。

 

 しんみりポイントがなかったとは言えないが、愛知から帰ってきたときの自分の言葉を思い出して、今日も明日も生きていく。ありがとうDearDream、ありがとうKUROFUNE、ありがとうドリフェス!プロジェクト。

ドリフェスは常に「今が最高」と思えるコンテンツだから、これ以上の幸せを考えられなくて、気を抜くとしんみりしちゃうんだけど、それはともかくDearDreamが大好きなんだよ