怪文書

オタクに幸あれ

幸福な承認と、ありのままの私と。

 

「世界一の宝物だよ。今までで一番キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」

 これだけ聞いて、「宝物」は何をさしていると思うだろうか。恋人? 仲間? 違う。

 ファンなのだ。アイドルが、自分たちのライブに来たファンのことを、キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好きだと言う。

 これはドリフェス!アプリの劇中劇に出てくる台詞だ。ドリフェス!プロジェクトの神髄は、この一言に詰まっていると思う。ファンが実際にそう感じているんだから間違いない。ドリフェス!から受け取る“承認”は、ファンをいつも幸せな気持ちにしてくれる。

 

ファンに当事者意識を持たせる

2010年代のオタクは、推しに毎日会えるようになった……!*1

 猫も杓子もソーシャルゲーム化の時代。2次元オタクは、スマートフォンを触りさえすれば、職場のトイレでも“推し”と会えるようになった。

 ドリフェス!は、そんな数多あるソーシャルゲームのひとつだ。だが、おそらく唯一無二といえる偉業がある。それは、2次元オタクにオタクとしての居場所を作ったことだ。

 アイドルはファンに衣装を着せてもらえないと舞台で輝くことができない。客席にファンがいなければライブは成立しない。ドリフェス!に関わっているとき、ファン自身も、“ファンとして”アイドルのステージを作り上げる当事者に仕立て上げられているのだ。

 

 その世界観は、さまざまな展開をするドリフェス!のすべてに共通している。

 思い返せば、ファンミーティング03で販売されていたバッグに「FAN & ME」と書かれていたことが、長く心にひっかかっていた。配信映像で見たファンミーティング02のTシャツには「DearDream KUROFUNE ...and YOU!!」とあった。ライブ会場で、舞台上だけでなく客席も含めてこのメンバーでライブができるのは一回きり、同じライブは二度とない、と強調するところが印象的だった。BATTLE LIVEでのバンドメンバー紹介の最後、「そして……お前らだ!」と呼ばれたことで、涙が溢れそうになった。

 ただし、アニメは完パケ済みのドキュメンタリーという設定なので、ライブの客席にいまの自分を座らせることはできない。また、物理的に参加できる3次元のライブはあくまで3次元での出来事であり、2次元のキャラクターがおこなうライブとは異なった性質を持っている(※DearDreamとKUROFUNEというアーティストは、2次元と3次元にそれぞれパラレルで存在していると考えてほしい)。

 

 しかし、アプリは違う。常に最新の当事者でいられる場がアプリなのだ。

 ドリフェス!アプリのリズムゲームは、ファンである自分が、いま、ライブに参加している設定だ。自分の選んだ衣装が楽曲のイメージに合っているかどうかでライブの盛りあがり方(ゲームのスコア)が変わる。タップがうまくできる、イコール、ペンライトの振り方やコールがうまくできたということになる。ミスが多ければ、ライブを盛り上げられなかったということになる。ファンとしての自分の力(強い衣装を手に入れる財力と運、リズムゲームの技術)が必要とされるのである。

 ドリフェス!界のミスターアイドルこと佐々木純哉くんは言った。「俺をアイドルにしてくれてありがとな!」と。アイドルの道を選んだのは彼自身であり、念願叶ってプロのアイドルになれたのは彼の努力があったからだ。それでも、「アイドルは応援を届けてくれるファンがいないと成り立たない」と言い続け、ファンがその場にいることの正当性を認める。こうしてファンは、マズローの言うところの「承認・尊重の欲求」を満たされるのだ。

 

 

 

ありのままの私の承認

 ドリフェス!のファンは、アイドルの彼らに「大好きだよ」「愛してるぜ!」と言われるために、2次元の美少女に成り代わる必要は一切ない。ドリフェス!の前では、オタクはありのままの自分でいて良いのだ。

 だから私も、千葉に住む平凡な会社員のままで良い。現実を生きる私が、ライブへ行き(リズムゲーム)、友達と会って(フレンドへの挨拶)、ランダムブロマイドを現金で買って(ドリカショップのガシャ)、空き時間に配信番組を見て(チャンネル)、ポスターやぬいの並ぶ部屋(マイルーム)に帰る。時には部屋を片付けて、その日の気分で缶バッジを並べ替える。現実に即したオタク生活を送れるのがドリフェス!アプリだ。しみじみ、ドリフェス!のアプリはシステマティックで無駄がないと思う。なのに、夢が詰まっている。天才。

 そんなフレーズの入った歌が流行ったのももう4年も前になるらしいが、現実の、ありのままの姿で2次元キャラクターを応援できるのは、究極の自己投影といえるだろう。この“承認”により、3次元の自分と2次元の世界が時間も空間も超えて繋がっていると感じられてしまう。普通に気が狂う。

 

 

 私は、自分の承認欲求はかなり満たされていると感じていた。人間関係での悩みもなく、仕事は順調で、SNSともうまく付き合えている。

 ただ、2次元からの承認だけは諦めるしかなかった。どれだけ好きな2次元のキャラクターがいても、3次元に生きる私そのものの存在を認められて、大切だと言われるなんてことはありえない。この昇華しきれない想いを一生抱えていくしかないと思っていた。

 その考えが、ドリフェス!と出会って一変した。ただのオタクである私を、「キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」と、「ライバル」と、「オレたちの夢」だと言ってくれた。ただのオタクに、居心地の良すぎる場を作ってくれた。好きという気持ちを肯定して、受け止めて、返そうとしてくれる。

 ドリフェス!の好きなところを挙げたらきりがないけれど、私は、ありのままの自分でいられる心地良さが一番好きだ。

 

 

 2週間、どうしたいのか、何ができるのかをたくさん考えた。

 私の願いは、自分が大好きで、ものすごく幸せを感じさせてもらっているこのプロジェクトを、他の誰からも「失敗だった」と思われたくない、というものが一番大きいらしい(というのは綺麗事で、私の居場所であるドリフェス!終わらせないでほしいのが第一)。

 この幸福な“承認”を消えさせたくない。他の多くの人にも感じてほしい。だからちょっとだけ、ドリフェス!にふれてほしい。自分自身に対する価値観が変わると思う。

 

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