怪文書

オタクに幸あれ

キャラクターの「生」と「2.5次元」について

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 ミュージカル講座へ行ってきました。副題は「2.5次元ミュージカル――どこから来て、どこまで行くのか?」。

 ゲストはネルケプランニング代表取締役の松田誠さん、先代越前リョーマの小越勇輝さん。パネリストに劇作家の青木豪さん、篠原久美子さん。そして司会は青井陽司さん。登壇者の方々は「2.5次元」にとても理解があり、「(いわゆる正統な)演劇」側の視点で「2.5次元」舞台を真面目に語ってくださっていたのが印象的でした。

 司会の青井さんは、「歌舞伎なら『忠臣蔵』、宝塚なら『ベルばら』、2.5次元なら『テニスの王子様』といったように、よく知らない人でも名前を知っている」演目としてテニミュを紹介していました。テニモンは感激のあまり開始1分で泣きそうでした。そんな当日のメモが大量に残っていたので、まとめておきます。

 

 

①そもそも「2.5次元」とは?

 今回のミュージカル講座参加者のほとんどは「2.5次元」にふれたことがあるようでしたが、あらためて「2.5次元」とは何か、登壇者がそれぞれの解釈を語ります。

 松田さんは「マンガ・アニメ・ゲームなど、平面の絵を舞台化したもの」と表現。

 司会の青井さんは「2次元を3次元で表現したものだが、あえて0.5到達しないように作っているのでは?」と、とても興味深い提言をされていました。これに関してはまた後で、などとおっしゃっていたのですが、残念ながらこの件についての続きを聞くことはできませんでした。

 ゲストの小越さんは「非現実を現実にした、どんな人でも楽しめるエンターテイメント。こんなの舞台化しちゃうんだ!と思わせるような舞台」と話していました。

 「2.5次元」は、もともとファンの間で発生した言葉ですが、言い得て妙だとして、制作側がそれをオフィシャルにしようと動いたそうです。「『マンガ・アニメ・ゲームを舞台化したもの』と総称され、どことなくぼんやりしていたものが、『2.5次元』という新しい言葉の発生によって印象づきやすくなった」と、登壇者の篠原さん。英語にすると「ツー・ポイント・ファイブ・ディメンション」。海外でそう言うと、ポカーンとされることが多いようです。

 

 ちなみに、(一社)日本2.5次元ミュージカル協会では、「2.5次元ミュージカル」を下記のように説明しています。

 漫画・アニメ・ゲームが原作の舞台化作品、それが‘2.5次元ミュージカル’!!/2次元の世界観をそのまま3次元の舞台で再現!/忘れられないあの名シーンが、胸を熱くしたあのセリフが、今、あなたの目の前に…。/すでに多くの人を虜にした演劇の新ジャンル、/2次元でもない、3次元でもない、新次元の興奮を体感しよう!!(*1)

 2次元の「世界観」「名シーン」「セリフ」……私のような2次元オタクは、なにかの作品が舞台化されるとき、キャラクターを大切にしてくれるかどうかを重視しているように思うのですが、一般向けの紹介では「キャラクター」という表現は使わないようです。

 「2.5次元」はファン発生と言っていましたが、私もだいぶ前からそれを使っていたような気がします。『テニスの王子様』ファンであれば、ファンブック『10.5』などで「.5」という表現が使われていたので、親しみやすかったのかもしれません。たとえば10.5巻(2001年11月)は、10巻(2001年9月)と11巻(2001年12月)の間に発売されたので、数の順序で10.5になるのですが、原作のコマからはみだした部分としての「.5」という意味も持っています。「2.5次元」はマンガのコマとコマの間を埋めようとしますが、ファンブックも、本筋には描かれていない――本来描く必要のない――マンガのコマの外の世界です。父親の職業だとか好みのタイプだとかおこづかいの使い道だとか、本当にどうでもいいことがたくさん書いてあります。けれど、そのどうでもいい情報が『テニスの王子様』のキャラクターたちに人間らしさを加え、テニミュの舞台上でも活かされています。次元もファンブックも、「0.5」足されることで、平面の人物が「生きている」ことをより実感できるのではないでしょうか。

 

 

②「テニミュ」に焦点を当てて――演者とキャラクターの関係

 約4年間のテニミュ2ndシーズンは、当初は2年間で42巻まで上演する予定だったそうです。しかし、やはり無理ということになり、そんな中で「最後までやりたい」と言っていた小越さんに、代替わり後もやってみないかと声が掛かったとのこと。500回以上の公演をこなした小越さんを、どなたかが「2.5次元界の森光子」と呼んでいました。

 小越さん自身は、越前リョーマとしての生活を振り返り「4年間のなかで、(越前リョーマの年齢である)中1から離れていって、無意識のうちに子どもっぽさがなくなってしまう」「周りから指摘されることもあり、自分でもよく気を付けていた」と話します。俳優の稚拙さとキャラクターの未熟さがリンクして、ふたつの成長を見ることができるテニミュ。しかし、俳優としての成長が役としての成長を超えてしまう時がくるといいます。小越さん自身も、そのジレンマがあったと話していました。まるで、才能の高さゆえに次々と技を会得していったものの、身体がその成長に追いつかず無我の境地を持て余す越前リョーマのようです。

 松田さんいわく、「テニミュは特殊」な舞台。 俳優の仕事というよりも、助走やロイター板のような存在。そのあとどうなるかは本人次第とのこと。俳優が未熟なうちから目を付けて成長を見守るのは、昔からの日本人文化です。400年続く歌舞伎も、昨年100周年を迎えた宝塚歌劇団も、最近流行りのアイドルも、みんな、そういったパトロン的な観客によって育てられています。

 もちろんテニミュにもそういった面があるのですが、先ほど書いたように、テニミュの場合は、役者の成長と同時に作中でのキャラクターの成長も起こります。二重の意味で成長を見守る演目になっているのです。それに加えて、原作でチームやキャラクターが絆を深めるのと同じように、役者たちの間にも絆が生まれるといいます。松田さんは、そういった「セミドキュメント」や「擬似体験」といった要素が面白みに繋がっていると話していました。

 

 司会の青井さんは、劇団四季の『ウエスト・サイド・ストーリー』では、作中で敵対するジェット団とシャーク団は舞台裏でもあいさつすらしない、楽屋の場所など扱いにも差があったと話し、テニミュでは舞台上とバックステージでのキャストの関係はどうなのかと尋ねます。小越さんは「学校によって色がある」「青学は中心だからぶれずにやろうという意識があったけれど、学校ごとに人気が違うし、新しい上手い子がきたら不安に思った」と答えていました。松田さんは「殴り合うチームもあったけど、それをドアの陰から『いいぞいいぞ』と見ていた」「例えばものすごくダンスの上手い子が入ってきたら、他の子に対して『ぬるいことやってんじゃねえよ』みたいな感じになって、うねりが発生する」「楽屋も舞台上と同じ」と話していました。

 

 また、小越さんは、先輩たちからのタスキはプレッシャーで、「前の代の誰かの越前リョーマと似て見えるのはイヤ」「そう見えないようにしたいけど、マンガという正解があるので仕方ない」と、テニミュならではの苦労を語ります。

 一般的な戯曲の脚本には絵がありませんが、「2.5次元」には、脚本の土台としてビジュアルが存在します。その中でも『テニスの王子様』は、原作のキャラクタービジュアルに「年齢的な違和感がある」「キャラクターが中学生らしくない」ので、舞台化しても受け入れられやすかったのでは、という話もされていました。

 小柄な越前リョーマの視点で描かれた先輩や強豪ライバルたちは、とても大きい。身体的にも精神的にも。だから、越前リョーマ役よりも10歳年上の役者が手塚国光を演じていたとしてもそんなに違和感がないのかもしれませんし、むしろその絶妙な違和感こそが原作に忠実なのかもしれません。

 

 

③日本文化と海外の反応

 テニミュをはじめ、セーラームーンNARUTOなどのアジア公演も見られる2.5次元舞台。海外には「日本のマンガやアニメの信者が多い、リスペクトが強い」と松田さんは語ります。海外の方は、好きとか萌えとかではなく、そのマンガやアニメを「信じている」と言います。

 この話題が出たとき、松田さんと小越さんが「勇輝も海外公演やったよね?」「それ前から言ってるんですけど、僕行ってないんですよ、海外」「そうだそうだ、怒られたんだ!僕だけ行ってない!って」と話していました。小越さんは海外公演をやりたかったそうです。

 海外では、国ごとに人気のあるマンガが違うといいます。松田さんが「中国でも2.5次元ミュージカルやってますよ!」と言われて見せられたのは『一休さん』のファミリーミュージカル。中国では教育アニメとして『一休さん』の人気が高く、舞台では坊主たちがかわいらしく歌をうたっていたそうです。

 来年上演予定の『花より男子』も、台湾をはじめアジアでは絶大な人気があり、おそらく満を持しての舞台化なのでしょうか。「こんなに舞台向けの作品がなぜ今まで舞台化されていなかったのか」と熱く語る篠原さんに、『花男』の脚本を担当する植木さんがたじろいでいました。

 その他、海外からは『ドラえもん』や『名探偵コナン』の舞台化をしないのかという声が多くあるそうです。『ドラえもん』を「2.5次元」舞台にと言われると、なるほどと感心する反面、でもなんか違うような気も……と首をかしげてしまいますが、松田さんは「日本には埋もれているコンテンツがたくさんある」「どうしても今流行っているものに目がいきがちですが」「イケメンミュージカルでなくてもいい」「物語・内容で勝負できるものを作っていく」と語っていました。

 

 

④キャラクターを「生かす」2.5次元

 「2.5次元」の起源は、宝塚の『ベルサイユのばら』と言えるでしょう。眉毛を剃ったり、原作に忠実なウィッグをキープしたりと、『ベルばら』舞台がビジュアルをマンガに似せるためにした努力はすごかったそうです。 そして大成功をおさめ、今も愛される作品となっています。また、1979年に『ベルばら』は実写映画になりました。ヴェルサイユ宮殿を使っての撮影だったそうです。本物のフランス人が演じるのですから、さぞ美しい、まさに本物のようなオスカル様が出ているはずですが、「何かが違った」と篠原さん。もちろん、宝塚と違うという意味ではなく、原作と違うという意味です。ビジュアルではなく、本人の持っているものが大切だと気付かされたと話していました。

 それと対照的なのが、2000年の舞台『きみはいい人、チャーリー・ブラウン』。スヌーピー役の市村正親さんは、はじめは本当に犬の格好で演じようとしましたが、途中で「犬という共通認識がお客さんとの間にあれば、スヌーピーがヒトの形で出てきてもいい」と、ヒトの姿でスヌーピーを演じたそうです。作品のテーマさえぶれなければ、必ずしもビジュアルが第一ではないと。青井さんが言うには「2.5次元から3次元への切り替え」をしたことになります。

 

 では、最近の「2.5次元」では、どちらを重視して2次元の舞台化を行なっているのでしょうか。

 松田さんは「作品のテーマにもよるが、ビジュアルの似ている似ていないが重要でないものもある」「似ていると感じさせることが重要」と語ります。例えば『弱虫ペダル』では、舞台ソデで酸素を吸うほどの運動量があるため、汗で流れてしまうメイクはほとんど意味をなさないそうです。「メイクよりもキャラクターや世界観を出せるかどうか」「熱量の再現」などの言葉が出ていました。

 「着ぐるみのように、この形でやればいいというものではなく、キャラクターは人間」

 「ごはんも食べるし、バスにも乗るし、パスモを落とすこともあるかもしれない人間」

 「描かれていないもの(人間らしさ)を想像する」

 「ただし、2.5次元舞台の中には、原作を表面的にしか追えていない着ぐるみショーのような作品もある」

 「演じるようになって2年くらい経つと、キャラクターでアドリブが言えるほどに、キャラクターを人間として獲得している」

 すべて、松田さんが熱く語っていたものです。

 キャラクターは人間。その言葉を、心の中で何度も何度も反芻しました。いつもいろいろ文句言ってるけれど、私の大好きな『テニスの王子様』を、この人が引っ張って舞台化してくれてよかったなあと思いました。『テニスの王子様』に登場するキャラクターたちは、単なる「2.5次元」のお面として活かされているのではなく、「2.5次元」でも生きているんだって思いました。

 

 小越さんは、公演前には青学みんなでキャラクターとして雑談していたと話してくれました。青井さんも、稽古中に一度台本を置いて、それぞれの役でアドリブができるかどうかやってみるといいます。テニミュの出演者たちは、このスタニスラフスキーシステムのひとつを、誰に教わるでもなく「防衛本能的にやっている」と松田さん。こういうことがしやすいのも、「2.5次元」ならではなのかもしれません。テニミュの場合、稽古場に『放課後の王子様』が置かれているくらいなので、もしもこのキャラクターがこういう状況になったらどうするかという様々な想像は必須で、その経験がTeam Liveにも活用されたのだろうと思います。

 マンガにはマンガの、アニメにはアニメの、ゲームにはゲームの、そして舞台には舞台の良さがあります。「2.5次元」舞台は、原作という正解に近付けていく使命を持ちながら、原作に描かれていない部分も補完しなければなりません。マンガ原作であればコマとコマの間を埋めていくのですが、小越さんは「リョーマは強気で、負けず嫌いで、クールだけど、実はこの裏では笑ってるんじゃないかと思って演じた」ことがあるそうです。

 おそらく、四天宝寺公演D2のベンチワークのことでしょうか。あの場面は1stシーズンの2人がクールに徹していたこともあり、感情表現豊かな小越リョーマに対して驚きの声が上がっていました。いつだったかのインタビューでもこのことを話していたので、よっぽどアンケートなどで意見があったんだろうと思います。でも、それが小越さんの考える越前リョーマの人間らしさです。彼は、越前リョーマを、強気とか負けず嫌いとかクールとかいった記号的な‘キャラ’でなく、ギャグがツボにはまって笑ったり、変な行動を取る人におびえたりする面も持っている多義的な存在と捉えているのです。

 3rdシーズンで越前リョーマを演じている古田さんも、同様のことを話していました。

リョーマって生意気って思われているけれど、よく考えればリョーマはすごく実力があるので、別に生意気に振る舞おうとしているわけじゃないのではないか、とか。(中略)たまたま生意気に映っちゃうというか。だからあえて生意気に見せるようにはしないというか…(*2)

 キャラクターという言葉の持つ意味のなかには、「小説・映画・演劇・漫画などの登場人物」(広辞苑)があります。「キャラクター」は「キャラ」と省略され使われることもありますが、「キャラ」という言葉には、「キャラクター」とは違った意味が含まれています。

 伊藤剛は、「キャラ」を「『人格・のようなもの』としての存在感を感じさせるもの」、「キャラクター」を「『キャラ』の存在感を基盤として、『人格』を持った『身体』の表象として読むことができ、テクストの背後にその『人生』や『生活を想像させるもの」と書いています。(*3)

 最近は「キャラクター」を「キャラ」の部分でしか見ていないと思うようなコンテンツも少なくありません。恋愛シミュレーションゲームやアプリの広告に、キャラクターの絵と声優の名前だけ、あるいは「○○キャラ」などの説明だけが載っているのを見ると、それが最も効果的なPRの仕方なんだろうと思わされるからこそ悲しくなります。記号的な部分ばかりを強調されたキャラクターが量産され、消費されていくのは、傍から見ていても切ないものです。お金を出す側がそれを良しとする姿勢になれば、作る側も甘えて、手抜きの「キャラ」ばかりのコンテンツを作ってしまうような気がしますし、マンガ業界が20年前の少女マンガのグッズで小銭稼ぎを始めた様子を見ると、今後のマンガ・アニメ・ゲーム業界はどんどんつまらないものになっていってしまうのではないかと心配です。

 そういう流れの中で、(多分)オタクではない若い男の子が、マンガの登場人物をひとりの人間として、背後に人生や生活を想像しながら演じてくれるって、すごく幸せなことだと思います。『テニスの王子様』は、許斐先生がキャラクターたちを息子として、娘として、「キャラ」ではなくひとりの人間として扱っているので安心です。舞台も、制作側が「キャラクターは人間」と断言してくれているので、これからも安心して観られます。本当によかった。

 

 講座に話を戻します。青井さんは、小越さんがバスツアーを行なうことについて触れ、そういうファンとの触れ合いの場ではどういうふうに自分を出すのかと訊きました。「自然体の自分の、ふだん舞台上では見せられない部分を見せたい」と小越さん。答えを聞いた青井さんは、「役をつくったり出したりするのは自分。自分にないものは出せないのだから、自分を磨くことが大事」と言っていました。

 許斐剛先生も、作中に登場するキャラクターについて、このように語っています。

根本的な性格はみんな私に似ていますね。私もすごく負けず嫌いだし、悪いことをするのは嫌。ゴミをポイ捨てするのとか許せないんですよ(笑)。それは『テニス』の全員に備わっている性格だと思いますね。(*4)

 自分にない部分は表現できない。それは漫画家にも役者にも共通のようです。

 

 松田さんは、テニミュのオーディションなどを通して、「ビジュアルも大切だけど、最終的にはそこではない」ことに気付いたといいます。松田さんは、オーディションのときにどうしても見た目先行で選んでしまいがちだったのに、上島先生ははじめから「キャラクターとしての軸を持っているかどうか」「キャラクターの素養があるか」を重視していたそうです。身長など、観客が違和感を覚えてしまう部分については、それがブレーキにならない範囲で選んでいるとのことです。

 オーディションの時点でも、外面より内面が重視されるようです。映画やドラマと比較したとき、舞台の強みは「観客の想像力」に任せられることだと言います。だからこそ、「2.5次元」舞台(テニミュ)は、観客に「似ていると感じさせる」だけでなく、「キャラクターがそこに生きていると感じさせる」ような世界をつくろうとしているのではないでしょうか。

 

 

 

⑤「2.5次元」らしい表現の特徴

 ミュージカルといえば、一般的に音楽込みでお芝居を楽しむもの。音にこだわってつくられているものです。しかし、「2.5次元」舞台の多くでは 、録音した音楽を使っています。「ミュージカルなのに生オーケストラの演奏じゃないなんて」と言われることも少なくないそうです。

 これに関して松田さんは、オーケストラを使わない理由を3つ挙げました。第一に、観客が若く、チケットの値段を上げられないため、コストの問題でオーケストラを入れることができない。第二に、スピーカーの質も上がっており、録音でも十分良い音が出せる。そして第三、生オーケストラである必要はない。「オーケストラによるすばらしい演奏を観客は望んでいるか」「ずれることのある生の音よりも、(テニミュであれば)本当に打っている感覚を味わえるほうが大事ではないか」「だったら、音に合わせて俳優が完璧に動けるように、パッケージ感のある録音で良い、むしろ録音‘が’良い」と強く主張します。

 観客として、もちろん音はきれいな方がうれしいですが、SEの響きや楽曲の演奏ではなくキャラクターの声が聴きたくて、キャラクターが動く様子を見たくて劇場へ行っているので、録音に疑問を持ったことがありませんでした。宝塚では穴みたいなところで指揮棒振ってる人がいる、程度しか知識のない私のような、演劇をまったく知らない層がメインターゲットの舞台であれば、やはり録音がふさわしいのだと思います。

 

 この日のために『テニスの王子様』全巻を呼んできたという篠原さん。キャラクターが強烈、台詞が印象的、「ここでこれをやるの!?」というようなファンサービスがあるなどの特徴から、シェイクスピアに似ていて、非常に舞台向きの作品だと講評していました。篠原さんは、『ワンピース』が歌舞伎になることについて触れ、「『少年ジャンプ』はかなりかぶいている」ので、ある意味必然だとも話していました。

 マンガのコマひとつひとつに描かれているのは、歌舞伎でいう見得や型。 動きを切り取ったものです。マンガには、開いたときのインパクトがあるので、そのパンチをどう表現するかが重要になっているといいます。

 テニミュにも、歌舞伎のような見得があります。試合中のモノローグが長い台詞になる時などに、その台詞を言うキャラクターのほか、周りも動きを完全に停止させたり、あるいは動きがスローになったりします。これは、ただ台詞を言うための時間稼ぎだけではなく、原作に描かれている見せ場を意識しての見得です。歌舞伎で演技が最高潮に達したときに切る見得と同じ効果を持っています。私はテニミュ以外の「2.5次元」舞台を見たことがないのですが、テニミュ以外にもそういった場面があるのでしょうか。

 あまり意識してこなかったのですが、「2次元」だったときの見せ場を「2.5次元」で表現するときに、音や動きの持つ意味はとても大きいのだと考えさせられました。これからは、映像効果なども加わり、より作品の世界観を近くに感じられる舞台が増えていくのでしょう。

 

 

⑥「2.5次元」のこれから

 マンガ・アニメ・ゲームのファンは、一般的にオタクと呼ばれています。これらの舞台化も、「ざっくり言ってしまえば、そういう‘オタク’の人たちがターゲット」だったと話す松田さん。しかし、以前に比べてオタクはマイノリティではなくなりました。それどころか、アニメやマンガ、ゲームを好きで当たり前ともいえる社会になりつつあります。もちろん、‘好き’の度合いには相当な幅があるのですが。そういうなかで、「2.5次元」舞台は、外国人の獲得を目指していくといいます。

 松田さんが言うところには「アキバに来る外国人観光客を全員アイアシアターに引っ張ってきたい」、つまりインバウンドに一役買いたいと。ブロードウェイに行けばすばらしいミュージカルが見られるように、アイアに来ればいつでも本物の「2.5次元」舞台が見られるようにしたいと。そのために字幕メガネをつくったり、これまで海外からは買えなかった日本の演劇チケットを買えるように(日本のチケットを買うために使えるのは日本のクレジットカードだけだった。海外のファンは、日本の知り合いに頼むか、オークションを使うかなどしなければチケットを買うことができなかった。)システムを整えたりしていると。

 さらに、「2.5次元」舞台の輸出も考えているとのこと。日本人役者による海外公演だけでなく、日本でうまれた作品を現地の人が現地でやるのもあり得ると話していました。

 その他、集客について、これまで演劇を見たことのない層が劇場へ足を運ぶきっかけになってほしいと話していました。また、演劇に凝り固まった人にも、新しい演劇ジャンルとして楽しんでほしいとのことでした。

 でも社長、ケチってアイア使ってないで秋葉原周辺にちゃんとした劇場建てちゃえばいいのに。

 

 

⑦質問コーナー

Q.舞台化を受け入れられない原作ファンもいると思いますが……

A.もちろん、100%喜ばれることはない。インターネットを見ると、だいたい「ネルケ氏ね」って書かれてる。でも、見て納得してもらうしかない。前は沈静化しようとしてたけど、今は、「ちょっと見てやろうじゃないか」というような見方でもいいので、とりあえず劇場に来てくれればいい。内容でファンを黙らせます。

 

Q.ネルケプランニングはどのようにして「2.5」にたどり着いたのか?

A.もともと演劇を制作していて、ミュージカルも作るようになって、たまたま、舞台化にふさわしいマンガに出会った。マンガを舞台化させようと思っていたのではなく、舞台にふさわしい題材としてマンガがあった。ミュージカルは『アニー』のイメージがあったので、はじめは女の子向けの『赤ずきんチャチャ』や『りりかSOS』を上演していた。それからいくつかジャンプ作品を上演して、『テニス』に至った。マンガが原作だと、お客さんはキャラクターに会いに来る。韓流ブームのときに、韓流ドラマなどを舞台化してみたがうまくいかなかった。韓流ファンは、ストーリーや役が見たいのではなく、俳優が見たいだけだから、舞台にお客さんは流れてこないとわかった。

 

(*1)一般社団法人日本2.5次元ミュージカル協会チラシより

(*2)3rdシーズン開幕!ミュージカル『テニスの王子様』古田一紀、神里優希、青木空夢、健人インタビュー | エンタステージ

(*3)伊藤剛テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』NTT出版 2005年

(*4)ジャンプSQ.若手作家が聴く「マンガの極意!」第3回ゲスト許斐剛先生[ジャンプSQ.Web特集]