怪文書

オタクに幸あれ

ワンピースを全巻読んだ日記

 私が『ONE PIECE』と出会ったのは、小学4年生のときだった。図工の授業でゴーイングメリー号を作るという友人が持ってきたコミックスを借りたのだ。クラスメイトのほとんどが校庭へ遊びに出ている、よく晴れた日の業間休み。教室に残った私は、教卓に寄りかかり夢中でそれを読んだ。その時に見た、人けのない教室の風景と、暑くも寒くもない快適な風を鮮明に覚えている。

 長く『りぼん』を愛読していた私が初めて出会った少年漫画。それはもう衝撃的なものだった。だって、1話でいきなり主人公の味方の腕食いちぎられることある? 驚いた。こんなのもう読み続けるしかないでしょ。


 それからごく普通の読者として過ごし、やがて私は『テニスの王子様』に狂い、テニス以外の何にも触れたくない状態となったため、『ONE PIECE』の記憶はチョッパーが仲間になったあたりで途絶えた。


 そして2020年、春。その時はやってきた。

 自粛生活に辟易しはじめた頃、61巻まで無料公開されていた『ONE PIECE』をなんとなく開いてみたのだ。

 過去に読んだことのあるエピソードを懐かしみ、初めて読むストーリーに胸を熱くし、しかし「やっぱでかいジャンルは景気が良いな」などとどこか他人事のような考えが頭の隅にあった。

 それが一変したのはスリラーバーク編のラスト。「ビンクスの酒」の歌詞を見た瞬間に私は全てを理解した。

 絶対キャラソンある——。

 キャラソンには小銭稼ぎのような印象があったのだが(もちろん悪い意味ではない。私がどれだけキャラソンに狂っていたかは過去記事を読んでもらえればわかるはず)、お高くとまっていると思っていた巨大ジャンルにもキャラソンがあるんだ。そう思ったら親近感がわいた。検索したら本当にキャラソンがあった。イベントのアンコールではみんなで合唱するのかな、『ONE PIECE』のオタクはみんなこれ歌えるのかな、さてはジャンフェスの締めにこれでペンラ振ってるな。想像したら笑えてきて、電子書籍で96冊セット買った。むしゃくしゃしたときも「このスマホひとつあればいつでもワンピ全巻読めるんだからな」と思うと無敵になれる。

 

 


 しかし、じっくり読んでみると、思っていた以上にテーマの重い作品だ。

 過去の私は、『ONE PIECE』に対して「略奪者の海賊や悪政を働く王、それに苦しめられる一般市民、を救う麦わらの一味」というイメージを持っていた。それも決して間違ってはいないのだが、認識していた以上にややこしく、現代の地球に近い問題が山積している。貧困、飢餓、差別、支配と隷属、資源や技術の奪い合い、平和の希求、革命……まるでSDGsの教材だ。考えさせられることが多すぎる。

 

 海賊王なる存在がどういうものなのか、私はまだよく掴めていない。ただ、ルフィの思い描く海賊王の姿はわかってきた気がする。

「支配なんかしねェよ」「この海で一番自由な奴が」「海賊王だ!!!」

 

「だからよ!! おれは“海賊王”になるんだよ!!!」「偉くなりてェわけじゃねェ!!!」

「…なんか言いてェ事がわがってきたべ」「ルフィ先輩にとっての“海賊王”の意味が」「偉いんでねぐて」「“自由”……!?」


 思い返せば、アルビダの次に対峙した敵・モーガンの第一声は「おれは」「偉い」だった。その後に戦った相手も、支配・権力・偉さにこだわっていた者が多い。17巻にはこんな台詞もある。

「関係ねェんだぞ……! 王様だろうと神様だろうと」「誰が偉くたって偉くなくたって関係ねェんだ!!!」「おれは海賊だからな!!!」

ONE PIECE 17 (ジャンプコミックス)

ONE PIECE 17 (ジャンプコミックス)

 

 

 他人を支配せず、自由を求め、与える“王”。しょうもないニュースばかりのこの時代だからこそ、しょうもないニュースを理解できる大人になったからこそ、くう堪らん、となってしまう。

 日本の人口が1億として、7000万人くらいは『ONE PIECE』がむちゃくちゃ面白いということを既に知っていると思うので、これは布教ではなく単なる感想文だ。

 けれど、まだ気付いていない人は、こんな世の中にこそ知ってほしい。モンキー・D・ルフィの生き様を。