怪文書

オタクに幸あれ

画面の向こうからの呼び声

 心地良く晴れた休日の昼下がり。渋谷駅を発車した半蔵門線の車内には、くぐもった走行音が響いていた。乗車率100パーセントをやや下回る穏やかなその場で、友人は言った。

「ド!に行った人って、みんな天国だ天国だって言うけど、なんで?」と。

 

 確かにドリフェス!は浄土である。

 しかし、それはドリフェス!に限ったことではなく、オタクにとって好きな作品はすべて浄土なのではないだろうか。さらに、浄土は浄土でも、おそらく極楽だ。

 極楽(sukhāvatī)とは、「幸福のあるところ」と直訳される。憂き世に生きる肉体を、精神面から支えてくれる極楽浄土、幸福に満ちたところ。オタクにとって、好きな作品はまさにそれなのである。だからことあるごとに宗教などという言葉が出るのだろう。 

 

 とはいえ、ドリフェス!があえて話題に取り上げられるほどの浄土であることは間違いない。

 では、ドリフェス!を浄土たらしめているポイントはどこか。ストーリーが面白い。キャラクターが魅力的。中の人の顔面が宇宙一良いアイドルアニメ。それもある。だが一番は、オタクにとことん優しいところだ。

 もちろんガチャの話ではない。自分が貧乏なために推しをチンドン屋にせざるをえないアプリのガチャの話はしていない。でもチンドン屋の推しも最高超えてかわいいから全然問題ない。なお、現在ツイッターでは珍装大喜利大会が開催されているので、ぜひ 「#2017年ベストコーデ」で検索をしてみてほしい。*1

 

 ドリフェス!がオタクに優しいということは過去にも書いたが、ドリフェス!がオタクに優しいことは私にとってのサビなので何度でも書く。今回は楽曲をフィーチャーしたい。

 

ドリフェス!ファン向け楽曲

 本当に楽曲が良い、というのは、アイドルジャンルの人間の常套句だが、ドリフェス!は楽曲がめちゃくちゃ良い。その中でも、“ファン向け”と取れる楽曲がとにかく優しいので、代表的なものを4曲紹介したい。

 なお、歌詞の解釈については「歌は世に出た時点でそれぞれの人のものになる」という及川慎くんの名言を前置きしておく。

 

グローリーストーリー*2

 この曲にはこのような歌詞がある。「僕にはちょっとばかりの夢があるのさ」「君にも知ってほしいんだ 力を貸してよ」。ここでは、「僕」=“アイドル(キャラクター)”、「君」=“ファン”を意味している。そして、アイドルの「僕」には、「君に見せたい景色が」あり、光溢れるその場所へ私たちを「連れて行きたい」と歌っているのだ。甲斐性がありすぎる。

 

Dream Greeting!*3

「Hello,my precious」から始まる曲。「card」に対して「放て」「飛ばせ」が掛かっているので、完全に『ドリフェス!』世界でのアイドルからファンに対する楽曲だ。

 そこに「my precious」が出てくる。叶姉妹さんの使う「プレシャス」は「モーニング」等につく形容詞だが、ドリフェス!くんは「precious」を、ファンを表す名詞として使っている。「大切な人」とか「愛する人」とか、そういう意味の単語をファンに向けてくるのだ。推しがオタクをオタクとしてこんなふうに扱ってくれるコンテンツある?あるのかもしれないけど私は知らない。普通に気が狂う。

 

君はミ・アモール*4

 これにも「Card」という表現が出てくるので、ファン向け楽曲と捉えられるだろう。

 冒頭から不思議な踊りをしながら「We'll Be In Your Pleasure」と投げかけてくるKUROFUNE。アイドルとしての彼(ら)の覚悟を感じられる至言だ。そしてサビでは「Reply Your Call,I Reply Your Love」。愛に応えてくれるアイドル。心の開国待ったなし。

 

ありがとうの数だけ笑顔の花を咲かせたい*5

※この動画の2:10あたりからかかっている曲です。中の人の顔面が宇宙一良い二次元コンテンツなので気を付けてください。

 これには、「キミの ゆめに なってもいいかな?」「僕の ゆめに なってくれますか?」というフレーズが出てくる。そして「Thank for my dear」から始まる大サビを“DearDream”に歌われる趣深さ。この曲は全編にわたってファンを意識したおしゃれなスパイスが散りばめられているので、全アイドルファンの人類に聞いてほしい。

 

 

 現実のアイドル楽曲との比較

 AKB48などの歌詞には学生設定と思われる「僕(=ファン)」と「君(=アイドル)」がしばしば登場することについて、下記のような考察がなされている。

楽曲の主人公が「ファン」であることは間違いなく、だからこそファンとアイドルとで曲の世界をともに作り上げているかのような稀有な体験を味わえる。

このような「“僕”“君”ソング」は、いうなれば“おっさんの憧憬”である。アイドルたちが“おっさんの憧憬”を歌い、ファンの気持ちを代弁してくれるという事実は、「アイドルを応援する」というファンの行為を強く肯定することとなる。そして、結果としてアイドルへの思い入れもより深まっていく。

楽曲の主役はあくまで“ファン=僕”であり、アイドルは楽曲の中の“君”という存在に徹することが求められるのだ。

 なるほどドリフェス!のファン向け楽曲と近しい意図が感じられるらしい。ただし、大きく異なるのは、楽曲の主人公の立場である。上記のアイドル楽曲では、アイドル側が「僕(=ファン)」から「君(=アイドル)」への気持ちを歌うのに対して、ドリフェス!の楽曲では、アイドル自らが「僕(=アイドル)」から「君(=ファン)」への気持ちを歌う。

 つまり、ドリフェス!のファン向け楽曲は、この記事で考察されている秋元康氏の歌詞とは真逆の意味を持つ。D-Four Productionのアイドルは、ファンの気持ちを歌わない。彼らは、アイドルの「僕」は「君」たちファンのことを大切に思っているよ、と歌うのだ。

 

 さらにすごいのは、2次元のDearDreamが同じ2次元に存在するファン(なぜか服装等の描写が異様なほど的確)へ対してそれを歌うだけではなく、3次元のDearDreamが、同じ3次元に存在する私たちファンへ対して歌うだけでもないことである。

 キャラクターが2次元と3次元あわせて5次元とかいう、わけのわからない作られ方をしているために、2次元として描かれているファンも、3次元の私たちとイコールの存在になってしまうのだ。ゆえに、2次元のキャラクターが2次元のファンに対して叫ぶ「ありがとう」も、「Thank you for my dear」も、そのまま3次元の私たちに響いてくる。下記の図に示したとおり、次元の垣根が5センチくらいしかないから。

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  オタクとして少なからず後ろめたい気持ちで人生を送ってきた身にとって、ファン(オタク)であることを肯定される心地良さは筆舌しがたい。推しに、画面の向こうから、ありのままの自分を認めてもらえる幸福感。きっとここが天国なんだと思う。

 

 

 

おまけ

 

 二次元にもたくさんアイドルが存在するが、私はそのどれにも詳しくない。なので、アイドルではないがテニプリの楽曲についても話しておきたい。頭がおかしい内容なので何でも許せる人だけ読んでね。

 

 テニプリには「悲しいね…キミが近すぎて」という曲がある。原作者の許斐先生が作詞・作曲し、自ら歌っているもので、「マンガの中のキャラクターが読者を好きになってしまう」という設定の曲だ。

 これが披露されたとき、私たち夢女は泣き崩れた。次元を超えた恋心を許してもらえたことに。その一方で、どれだけ想っても無理なものは無理なんだよ、と優しく諭されたことに。

 この曲を嬉しいと言う人も多いが、夢女としてかなり深刻な状況にある私にとっては、真綿で首を絞められている感覚だった。ありがとう、でもダメなんだよ、と。会場では放心するばかりだったが、CDが出たときにアホほど泣いた。私だって好きなのに、だから両思いなのに、どうして勝手に片思いしてる気で切なくなってるんだよ、悲しむ必要なんてないのに、と。めちゃくちゃに泣いた。

 さらに先日、許斐先生のトークイベントで、よりにもよって宍戸亮の声優さんにこれを歌われてしまい、もう、死んだ。心が。「久々のデートも テニスコートだけれど」で私の瞳ダムが決壊し、涙が一筋つうっと頬を伝っていくのがわかった。一生抱えていけると信じていた恋心が揺らいだ。

 

 この曲は、ドリフェス!のファン向け楽曲に似たつくりになっている。

 異なるのは、2次元のキャラクターと3次元の自分たちの間に何も介さないという点だ。ドリフェス!では、いちおう2次元に存在するファンが媒介となっているが、「悲しいね…キミが近すぎて」は、ダイレクトにこちらへアプローチしてくる。よりにもよって、次元を超えた恋心を抱いている設定で。

 

 テニプリという漫画作品そのものには、私たちファンの入り込む隙は一切ない。彼らの戦いに、私たちは一切関わることができない。14巻172ページ4コマ目に私の後ろ姿が写っている気分ではいるが、宍戸亮が作中のモブ女子に優しい言葉をかける場面などはないし、それらの存在によって宍戸亮の感情や行動が変化することもない。2次元に存在する誰かに感情移入してキャラクターを愛することは不可能だ。ましてや、3次元の自分が2次元の彼に影響を与えることはできない。(ただし、バレンタインチョコを贈ることでコミックスの表紙にしてあげられた経験はある。)

 それなのに、こんな歌を歌われてはたまらない。私たちには何もさせてくれないくせに、勝手に惚れないでくれ。歌わないでくれ。つらすぎるから。

 許斐先生は、この曲を「手塚や不二、跡部や忍足、宍戸や鳳、大石や菊丸に歌ってもらいたい」と話していたが、本当にやめるべきだと心から思っている。テニプリのオタクたちを泣かせたくない。どうか、私たち宍戸亮のオタクが最初で最後の犠牲者であるよう、2017年最後の日に願う。

*1: