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テニスのこと

テニプリを愛するすべての人に幸あれ

いつか王子様が

テニプリ

 誰が呼んだか「王子様」。

 世間には「王子様」を題に含む作品や、そう呼ばれる有名人があふれている。これら「王子様」ブームの発端が『テニスの王子様』だと思うのは、テニプリファンだけではないはずだ。しかし、王子様とはいったい何者なのだろうか。

 

王子様とは――『テニスの王子様』における狭義と広義――

テニスの王子様』作中で初めて「王子様」という言葉が出てきたのは、第1話。竜崎スミレが、越前リョーマのことをそう呼んでいた。

 また、『テニスの王子様』の前身である『きんテニ』*1では、第3話で「王子様」が初登場する。雑誌に「テニス界の王子様(※「プリンス」のルビあり)」と紹介されている天才少年が、越前リョーマだったのだ。越前リョーマが『きんテニ』に初登場するこの第3話のタイトルは「テニスの王子様」である。

 漫画作品としての『テニスの王子様』『新テニスの王子様』では、「王子様」は、越前リョーマただ一人をさしている。

 

 ただし、【「王子様」=越前リョーマ】の式は、唯一の正解でありながら、狭義でもある。【「王子様」=『テニスの王子様』『新テニスの王子様』に登場するキャラクター】といった、広義の解釈もあるからだ。

 許斐先生が作詞を手掛けた「Dear Prince~テニスの王子様達へ~」*2では、「王子様」に「“達”」がついている。また、『放課後の王子様』1巻の帯には「王子様達の日常がココに!!」と書かれている。複数形にすることで、「王子様」と呼ばれる存在が二人以上いることがわかる。

 さらに、ファンブック『ペアプリ』に掲載されている番外編漫画のタイトルは、「プライベートの王子様」。この漫画でプライベートが描かれているのは越前リョーマだけではない。「王子様」と呼ばれるキャラクターは、越前リョーマの他にいても良いのだ。

テニスの王子様』の世界では、「テニスの王子様」は越前リョーマただ一人。しかし、社会=こちらの世界から見た場合などは、『テニスの王子様』『新テニスの王子様』に登場する男性キャラクター全員を「王子様」と呼んでも良いと解釈している。

 

 

 「私の」「王子様」、「誰かの」「王子様」

 きょう私がポエムを書きたいのは、広義の「王子様」のなかでも、「私の」「王子様」についてである。

 テニプリキャラクターは皆王子様だと思ってはいるが、「私の」「王子様」は、宍戸亮だ。いま書いてて死ぬほど恥ずかしい。照れる。けれど本当に、断髪後に監督を見上げるあの表情を見た14歳のときから今までずっと、宍戸亮は私にとっての「王子様」なのだ。

 

 アニメやミュージカルなど、メディアミックスの多い『テニスの王子様』では、原作が逆輸入をおこなうことがしばしばある。キャラクターソングがサブタイトルになったり、ミュージカルで笑いをとるために使われたせりふが原作に登場したりする。

 宍戸亮は、そういった逆輸入の影響で、性格まで変わってしまったキャラクターのひとりだ。なぜなら、許斐先生は、『ペアプリ』での「長年描くなかで、描き方に変化はありましたか?」という質問にこう答えている。

「宍戸は、いい奴になってきたかな。最初は口の悪いチンピラみたいな奴だったんだけど…楠田くんがいい人すぎて(笑)。人の頑張りは評価する奴だし、今は嫌な部分がとれていい兄貴分になったね。」 *3

 また、ラジオに出演した際は、最初からイメージが変わったキャラクターに宍戸亮を挙げ、こう話していた。

「宍戸は描いててだんだん楠田さんになっていくような……最初はすごくイヤな奴で描いてたりしたのが、楠田さんのいい人イズムが、優しくて、長太郎を守るような感じに……」

 つまり、いま私たちが見ている原作の宍戸亮は、声優・楠田敏之さんの要素を多分に含んでいるというのだ。

 楠田さんはいつも宍戸のことを気にかけてくださる方と存じ上げているが、「亮くんのことをメチャメチャ気に入ってかわいがってる宍戸家の親戚のおじさん」みたいな感覚でいたのに。むしろ、ツイッター宍戸亮の名を使って他のキャラクターの誕生日を祝うようすを見るたびに「キャラクターを私物化するな」「お前は宍戸亮ではない」と、憤っていたくらいだったというのに。

 私たちが見てきた宍戸亮は、私がこだわって愛してきた「原作の」宍戸亮は、もはや14年前に見た宍戸亮ではないというのか。宍戸亮アイデンティティはどこへいってしまったのかと頭を抱えた。

 

 しかしその後、友人との会話によって、重大なことに気付かされた。私がこれまで愛してきた「宍戸亮」は、すでに原作から、もちろんアニメからもミュージカルからも離れた唯一の存在になっていることに。

 哲学だ。だが、確かに、そのとおりだと思った。

 夢女(あるいは腐女子)である「私の」「王子様」の「宍戸亮」は、私仕様に都合よく解釈された存在なのだ。どれだけ原作に忠実に妄想しているつもりでも、それは、必ずしも原作の宍戸亮とは一致しない。

 例をあげよう。

 私は日常生活で起こったありとあらゆることを宍戸亮や王子様たちに変換して妄想する癖がある。たとえば車に乗っているとき、「宍戸亮の運転する車の助手席で私が寝てしまったら、それに気付いた彼はオーディオのボリュームとエアコンの設定温度をすこし変えてくれるんだ……宍戸亮は車にブランケットとか積んでないからなあ……」などと想像している。

 まず、この妄想に出てくる「宍戸亮」は、実際の=原作の年齢ではない。彼は15歳で、車の免許は18歳以上でないと取れないのだから。そのうえ都内に住んで自家用車を持っているらしいので、おそらく25歳はこえているだろう。さらに「車に毛布とか積まない」という、私の理想を押し付けた設定が採用されている。

 そして、この妄想に登場する「私」は、完全に私である。そんな「私」とつるんでいる「宍戸亮」の姿が、そもそも原作を完全に無視しているし、宍戸亮の存在する場所をねじまげてしまってさえいる。

 そう、私が頭の中で夢想する「宍戸亮」は、もはや原作の宍戸亮ではない。原作の宍戸亮をベースに、ファンブックの設定や完全版の情報、ゲーム、キャラクターソング、スピンオフ漫画、あるいは現実世界で関わった人間などの様々な情報をいいとこ取りで付け足し、都合の悪い部分は「これは原作じゃないから」などと言って差し引き、私仕様にカスタマイズされた架空の理想の王子様と化しているのだ。

 

 先日、テニミュを観たあとに、深刻な原作大石ファンが「いつか理想の大石くんに会えるのかな」とつぶやいた。私たちは食事の手を止め語り合った。行間ならぬコマとコマの間を生きる“彼”の、ふとしたときの仕草や口調。テニミュはその部分を舞台上で見せてくれるが、それらが自分の想像と一致する日は来るのだろうか、と。

 結論は「絶対に来ない」だった。

 きっとこの先テニミュが何十年続いたとしても、「私の」思い描く最高の「宍戸亮」には出会えない。なぜなら、彼らの頭の中にもまた「俺の」「宍戸亮」がいて、彼らはその姿を演じているからだ。自分に合わせて、チームメイトに合わせて、対戦相手に合わせて、その場にふさわしい「宍戸亮」をつくりあげているからだ。彼らにとっての「俺の」「宍戸亮」と、「私の」「宍戸亮」は、もはや異なる存在なのだ。

 だから、ベンチへの座り方や、お辞儀の仕方といった、原作には描かれていない「宍戸亮」像も異なるのが当然だ。

 今年の夏、私はテニミュの会場で「宍戸亮は土足でベンチに足を載せないと思います。お辞儀をするときには脚をきちんと閉じられる人間だと思います。」と、呪いのようなアンケートを何度も書いた。すると、一か月後には、ベンチに足を載せることはなくなり、お辞儀も脚を揃えてするように変わっていた。アンケートが反映されたのか、演じている方の中で「俺の」「宍戸亮」像が変化したのかはわからない。だが、このひと夏で、舞台上での宍戸亮がすこしだけ変わったことは確かだ。

 人間は常に変化する。『テニスの王子様』にも、キャラクターが試合の中で成長する描写がしばしば出てくる。宍戸亮も、敗北を機に成長し、レギュラー復帰を果たした。試合中でなくても、コマの外で絶えず変化している。そうして成長を経た姿(の妄想)が、「誰かの」理想とする「宍戸亮」かもしれないし、別の「誰かの」理想とはかけ離れた「宍戸亮」かもしれない。自分が「私の」「宍戸亮」を夢想しているかぎり、「誰かの」「宍戸亮」を否定することはできないのだろう。夏が終わってから気付いた。

 許斐先生も、完全版Season3の11巻*4において、原作最終回と異なるエピソードを描き下ろし、「積み重ねた出来事のチョットした違いで、こんな未来もあるんだなと思って下さい」と語っている。読者も、少し違う未来を想像するくらい許されているような気がしてくる。テニスの王子様は優しい世界だ。

 

 

「王子」で辞書*5を引くと、このように書かれている。

1 王の息子。⇔王女。
親王宣下のない皇族の男子。 
大切に思う男性。大事にされている男児。「我が家の―」
その団体や分野などで実力・人気があり、容貌 (ようぼう) もすぐれた若い男性。「クラスの―様」

テニスの王子様』にかんして、作中やメディアで多用される「王子様」は、おそらく4番目の意味を持っているのだろう。しかし、「私の」だったり、「誰かの」だったりする「王子様」は、3番目の意味も持っている。

 許斐先生は、自身名義の曲「Smile」*6のなかで、こんな詞を歌っている。

いつまででも キミの王子様は

信じてれば必ずそばにいるから Smile 

 どこかの国の王子様でもなければ、人からそう呼ばれるわけでもない。それでも“彼”ーー「私の」「宍戸亮」は、「私の」「王子様」だ。いつか目の前に触れるかたちで現れてくれないとしても、永遠に、私ひとりだけのための「王子様」なのだ。