怪文書

オタクに幸あれ

「2.5」の共有――TEAM Live SEIGAKUが見せた世界

 「ミュージカル『テニスの王子様』TEAM Live SEIGAKU」に参加してきました。

 「観た」よりも「参加した」という表現のほうが正しいイベントだったと思います。

テニミュ」が青春体感ミュージカルを自称するようになって久しいですが、TEAM Liveはまさに青春‘体感’イベント。これまでの「テニミュ」にない試みは、とても興味深いものでした。

 

 

 TEAM Live公演初日の数日前、公式ホームページ上で下記のような告知がありました。 

今回のTEAM Live SEIGAKUのテーマは、「都大会地区予選優勝 報告・親睦会」。このシチュエーションに、皆様に積極的に参加していただき、楽しんで頂ければと思います。

まず、今回の会場は「都大会地区予選優勝 報告・親睦会」が開催される“学校の体育館”の設定です。

ご来場の皆様は青春学園の生徒、もしくは青春学園テニス部のOB・OG、さらには家族など好きな設定を選んで、この「報告会・親睦会」にご参加していただくことになります。

そして、青春学園男子テニス部を普段から応援をしてくださっている皆様に、直接、本人たちから今回の地区予選の優勝を報告し、感謝の気持ちを伝え、さらに親睦を深める1日となります。

 

このライブイベントを盛り上げるために、皆様にご協力をお願いいたします。

◆お名前シールにご協力ください!

ご入場の際にお名前を記入できるシールを配布致します。是非、ご自身のお名前、お好きな設定(生徒、OB・OG、家族など)をご記入いただき見える所に貼ってください。

◆会場内でアンケートを実施。ライブイベントで発表!

ご入場の際にアンケート用紙を配布いたします。日替わりのアンケートで、その内容がライブイベントに反映されますので、是非ご協力をお願いします。 また、開演の15分前までにスタッフが回収させていただきますのでお早目のご記入をお願いいたします。

※会場でもペンはご用意いたしますが、ご来場の際にご持参いただけますと、記入がスムーズに出来るかと思います。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。

◆「青春学園中等部 校歌」を皆で一緒に歌いましょう!

ライブイベントで「青春学園中等部 校歌」を歌います。ご存知の方は是非、一緒に歌っていただければ幸いです。

※ミュージカルのナンバーではありません。ご注意ください。

テニミュニュース | ミュージカル『テニスの王子様』TEAM Live SEIGAKU 続報!より)

 

 この発表があったとき、とても驚きました。まさか「テニミュ」公式側から設定という言葉を提示されるなんて。しかも、舞台上での設定だけではなく、観客席を含めた会場全体、それどころか観客の存在についての設定だなんて。

 本公演はもちろん、ドリライや、過去に二度開催された運動会でもそんな言葉が公式から出されたことはありませんでした。

 ただ、決して少なくない人数のファンは、どこかの学校やキャラクターに寄り添った目線で本公演を観ていたり、保護者になったつもりで運動会を楽しんだりしていたと思います。ですので、これまでも、それぞれの視点で公演に参加しているような気持ちを味わっているファンは多かったのではないでしょうか。練習風景であれば同じ学校の生徒や教師、公式試合であれば応援に来た保護者やその他のギャラリーなどとして、自分で自分に勝手に設定をつけることで「テニミュ」の世界を構成する一員になれるのです。(もちろん、感情移入などせずに、舞台作品として「テニミュ」を観ている方もいるとは思いますが、そういった存在は一旦切り離します。)

 

 このように、これまで「テニミュ」は観客に様々な想像の余地を与えてきました。しかし、観客はあくまで観客。“青春体感”と表現するには、やや距離があったように思えます。その謳い文句を実現させようとしてきたのが、今回のTEAM Liveでした。

 前述の設定提案から始まり、会場外には幟や看板を設置、アンケートには<【続柄】ご家族/OB・OG/生徒( 年 組   部)>という記名欄が用意され、学ランを着たキャストが件の名札を手渡しし、舞台の緞帳には青春学園の校章がつけられ、開演前アナウンスはいかにも中学校の集会といった雰囲気、開演すれば学校長挨拶、校歌斉唱……と、中学生の手作り感を押し出してきます。アイアシアターは、まさに中学校の体育館になっていました。

 青学レギュラー陣のキャストが舞台上に揃ってからは、まばゆい照明とペンライトの光のなかで歌いあり踊りあり小芝居あり、いつもの「テニミュ」ワールドへ戻ります。そうすると途端に「都大会地区予選優勝報告・親睦会」という設定が薄れてしまいます。

 やるからには完璧な世界を作ってほしいものですが、この絶妙なやりきれてない感こそが2.5次元テニスの王子様の醍醐味というか、現実ではないのに現実のような気がする、現実になりそうで現実にならない、私たちを現実に繋ぎとめる命綱のようなものになっていると思います。

 

 こういった舞台と観客の関係については、知識社会学の観点から見ると面白いです。私たちが生きる自明の日常生活を<至上の現実>、日常から少し離れ夢想するもの(寝ているときに見る夢や、芸術家が持つ独自の世界など)を<もう一つの世界>としたうえで、

劇場(中略)では二つの世界の間の移行は、緞帳の上げ下げによって特長づけられる。幕が上がると観客は<もう一つの世界へと運ばれて>いく。この世界はそれ自身の意味と秩序とをもっており、(中略)そして幕が下がると、観客は<現実へ舞い戻る>。つまり彼らは日常生活の至上の現実へ引き戻されるのであり、この現実と比べると、ほんの数秒前までの演技がいかに生ま生ましいものであったにせよ、舞台で演じられた現実はいまや薄っぺらで束の間のものにすぎないように思えてくるのである。

と説明している本があります。(*1)

 ここでの「至上の現実」は「客観的現実」「正気(の世界)」とも表現され、一方「もう一つの世界」は、それらに対応するように「主観的現実」「狂気(の世界)」などとも書かれています。

 

 思えば、TEAM Liveの会場では緞帳の上げ下げは行われていませんでした。青春学園の校章がつけられた緞帳は、開演前も終演後も、もちろん上演中も、ずっと舞台の上方に留まったままでした。

 「テニミュ」の本公演では緞帳の上げ下げが行われますが、ドリライや運動会の舞台には幕が存在しません。

 原作を再現する本公演は、私たち観客にとって現実と区別されるべき「『テニスの王子様』の世界」であり、原作を逸脱した場所にあるドリライや運動会――ビーチバレーや焼肉など原作に沿った演出もありますが、根本は原作の再現ではない――は、時にはキャラクターと全く関係のないキャスト本人の色の強い演出なども使われ、「『テニスの王子様』の世界」よりもやや「現実」に近い存在です。

 本公演は「2」次元に近く、ドリライや運動会は「3」次元に近い次元にあると思います。

 

 では、TEAM Liveは、そのどちらに近い存在だったのでしょうか。あの会場は不思議な空間でした。少なくとも、TEAM Liveは私がこれまで体験してきた「2.5」とは違う次元でした。そこは、演者が「2.25」にいて、私たちが「2.75」くらいまで行けたような空間でした。

 2.5次元ミュージカルといえば、漫画のキャラクターが現実に飛び出してきて舞台上で彼らの世界を見せてくれる、という認識が一般的だと思います。実写映画などと比べると、キャラクターやその世界と観客との距離はだいぶ近いのですが、基本的には、現実の私たちが、仮想世界を眺めるだけでした。

 しかし、TEAM Liveでは、舞台上の演者だけでなく、名札によって観客にも役が与えられ『テニスの王子様』の世界の人間(あるいは動物や無機物)としてキャラクター化されました。今まで夢想はしていても、個人やファン同士でつくりあげた<現実世界に対する下位世界>でしかなかったものが、公で認められたのです。

 

 過度の感情移入をしながらそれを見ている私にとって、「テニミュ」と現実世界との関係は、下記のようになっています。

①本公演

<至上の現実>の下に発生した、観客個人にとっての<もうひとつの世界>。正統派2.5次元。

ドリライ

<至上の現実>の下に発生するものだが、原作とはほぼ関係ない歌とダンスで構成されるため、2.5次元よりも3次元に近い。たとえばオープニングムービーなどはキャラクター名ではなくキャストの名前で呼ばれる。‘キャラクター’に演者の色が濃く出がち。

③TEAM Live

①や②よりも、観客の意識の社会化が進んでいる空間。<至上の現実>において<もうひとつの世界>の存在が認められる。制作側の作った<もうひとつの世界>へのファンの介入が認識される。本公演とは違ったかたちで『テニスの王子様』の世界を掘り下げている。ファンブックを舞台化したイメージ。2.5次元よりも2次元寄り。

 

 要するに、TEAM Liveは「2.5」次元よりも「2」次元に近付いたイベントなのです。

 それと同時に、私たちが「2」次元へ近づくこと、「2.5」次元へ入ることを許されたような気もします。<『テニスの王子様』はただの漫画で、「テニミュ」はそれを舞台化したもの、という現実世界>から、<限りなく『テニスの王子様』に近い世界>へ連れて行ってもらうような感覚でした。

 

 今回の試みは、「テニミュ」や「ミュージカル『テニスの王子様』」のファンではなく、「『テニスの王子様』をミュージカル化したもの」のファン向けのイベントだったように感じました。賛否両論分かれるのは仕方のないことだと思います。

 ただ、原作と原作キャラクターへ憧れを抱く私にとっては、とっても楽しいイベントでした。だって、「設定」と「名前」を決めて、それを目の前のキャラクター/キャストに認めてもらえるなんて、こんなイベント、成人女性の健全な社会生活を脅かす危険性がありすぎます。

 私は思春期に『テニスの王子様』と出会いました。中学生のころ純粋に憧れていた、そして今でも焦がれてやまない、実在しないキラキラの男の子たち。それを、触れられるぎりぎりの距離まで近づけてくれたのが「テニミュ」でした。「テニミュ」が始まったのは、原作イベントで失神者まで出ていた時期。キャラクター・キャスト・自分の距離を掴めず倒錯したファンの気持ちは、私も痛いほどわかります。TEAM Liveでも、青春学園校歌に合わせて女性向け恋愛シミュレーションゲームのような映像が繰り広げられ会場が黄色い悲鳴に包まれましたが、ついに入ってはいけない領域にまで踏み込んできたな、とぞっとしました。

 「名札?非レギュラーの青学3年生部員の母って書いていこうかな、まあキャストはそんな名前わかんないだろうけど(笑)」などと舐めていたのに、たった1時間の公演で、名札に「3年11組 ○○(本名)」と書いて、お見送りをしてくれた同じクラスの乾くんに「ああ、○○さん」と呼ばれ足を震えさせながらアイアシアターを這うように出てくるなんて、まさにテニプリ夢豚ここにありといった感じです。最高。テニスの王子様は最高。

 

 モノが売れない時代、体験型の企画が多くのお金を生み出すと言われるようになって久しいですが、「2.5」次元をはじめとした芸能コンテンツ、オタク的コンテンツについても同じです。体験の共有、空間の共有はとても重要な商売です。

 それに上乗せするように、たとえば跡部のファンだったら「国民」とか「メス猫」とかの自称他称があるように、会場で空間を共有する人たちに特別な呼び方が与えられると、とても満たされた気持ちになると思うんです。いつもは「テニモン」を自称し、会場では「観客のみんな」などと呼ばれていますが、TEAM Liveならば「青春学園の生徒や保護者」になれます。さらに畳み掛けるように「青春学園3年11組の○○」という個人として、遠い世界の人たちに存在を認めてもらえる感覚が味わえる。これはもう、体験や空間の共有とかではなく、次元を超越した新しい世界にすら思えてきます。色々な危険性を秘めているので本当に怖いイベントですが、私は、私たちファンをあっち側へ連れて行ってくれたTEAM Liveの今後に期待しています。

 

(*1)Peter L.Berger and Thomas Luckmann,The Social Construction of Reality―A Treatise in the Sociology of Knowledge,New York,1966(山口節郎訳『現実の社会的構成 知識社会学論考』新曜社 2003)