怪文書

オタクに幸あれ

「ミュージカル『ドリライの王子様』」

 ドリライが変わった。

 それに気付いたのは、不動峰の寸劇を見ているときだった。

「真剣勝負だ!」を歌い終えた彼らは、「黒猫アイドル」と猫のようなポーズ。それを見た私は、テニミュは十数年やっていていまだに私たちがこんなネタで喜ぶとでも思っているのか、ふざけるな、絶対に許さぬと怒りに震えた。

 しかしその直後、2年生による「なんで俺達がこんなことを……」「せっかく橘さんが考えたんだからちゃんとやれよ」とのやりとりが始まった。

 そう、なんとこれは、「橘さん」が「ドリライ」を盛り上げるために考えたものだったのだ。パソコンと甘いものを苦手とする「橘さん」が、「ドリライ」で人を喜ばせるために知恵を絞った結果が「黒猫アイドル」なのだ。この絶妙な外している感は橘桔平のしわざで、しかも2年生たちはそれを「ちょっとダサいかもしれない……けど、橘さんが考えたんだからやるぜ!」と信じてやっているのだ。許した。許すしかない。むしろ愛おしさすら覚えるほどだ。

 

 このとき私は、テニミュ3rdシーズンのドリライが新たな世界を生み出したことに気付いたのだった。「ミュージカル『テニスの王子様』DREAM LIVE 2016」は、「ミュージカル『ドリライの王子様』」の世界だった。

 この『ドリライの王子様』呼びには、二重かぎかっこが重要だ。『テニスの王子様』では、『ボウリングの王子様』や『ビーチバレーの王子様』、『焼肉の王子様』などの作品タイトルロゴを変更してまでの番外編回や、ゲーム『学園祭の王子様』があるが、「ミュージカル『テニスの王子様』DREAM LIVE 2016」は、そういった類のものと思われる。

 つまり、『ドリライの王子様』という、(ミュージカル)『テニスの王子様』の番外編である。

 

 これまでのドリライには明確なコンセプトがなく、単なるガラコンサートと位置づけされていただけだったように感じる。そのため、本公演に比べて、2次元(=キャラクター)よりも3次元(=キャスト)を強く意識させられることが多かった。

 しかし、今回のドリライには、「普段はテニスしてる中学生の俺らだけど、なんかドリライってやつに出ることになったぜ!会場を盛り上げたやつが勝ちだぜ!」といった雰囲気が感じられた。

 そう感じた具体的な箇所が、いくつかある。

 オープニングの新曲「DREAM」(*1)では、「夢の世界」「おいで」といった歌詞があり、現実とは一線を画した世界へ観客を誘っていた。

 「『Dream Live』って言ったら、こっから不二先輩が出てきて、どんどんカッコよくなってくんだよな!」「手塚部長のバラードもこのあたりだな」「で、他校がどんどん集まってきて、バチバチ燃えんだよな!」とドリライのシナリオを語る(*1)桃城と海堂。さらにこのあと、河村が「ライブにシナリオなんてない」と言って登場する。(過去の)ドリライのお約束を語ると同時に、この「ドリライ」を台本通りに演じているようにも見せている。

 不動峰が「せっかく横浜に来たんだから観光しに行こう」「厳しい歌の先生や、怖い踊りの先生と練習してきたよな」と言ったのも、ややメタ的ではあるが、不動峰中のキャラクターが、この「ドリライ」に練習をして臨んできていること、普段住んでいる東京からはるばる横浜まで来たことを強く意識させる構成だと感じた。 

 観月はじめが毎公演「笑いでは負けない」と強調したり、山吹のトークコーナーでは「誰々が楽屋でなにかをしていた」との話題が出たりするのも、キャストがキャラクターを演じるだけでなく、キャラクターが“キャラ”を演じるような見せ方だった。 

ドリライ」の「勇気VS意地」のラストには、亜久津が越前に殴りかかろうとする場面がある。原作とテニミュ本公演では、亜久津が越前の胸ぐらを掴むが、越前の発言によって腕を引くというシーンだ。だが、今回の「ドリライ」では、亜久津は実際に手を上げようとし、それを河村が止めた。個人的にこのシーンは最も印象的で、なぜこういった演出になったのかを考えていた。そして勝手に、【「ドリライ」なるイベントで越前と亜久津のエキシビジョンマッチがおこなわれたが、亜久津が本気になってしまい、カッとなって越前を殴ろうとした(当然、「ドリライ」の演出にはないシーン)ので、河村が慌てて止めに入った。その後の突然の暗転は、「ドリライ」スタッフの配慮で、アクシデントがあったため「青学の柱」が唐突に始まってしまった。】という解釈に落ち着いた。

 

 サードシーズンを思い返せば、青学チムライは設定こそ良かったもののライブパートで自らが作り上げた世界観を壊してしまっていた。不動峰チムライではより良くなっていたのだが、聖ルドルフと山吹は全く違う内容のチムライを展開した。まあその惜しいところがテニミュクオリティだよねなどと話していたのだが、今回のドリライはその惜しかった部分を極限まで減らし、とても良い構成になっていたと思う。

 また、キャラクターとの距離も近く感じられた。会場の規模により物理的に近かったというのもあるが、本公演やチムライでのキャラクター姿でのお見送りに、ファンが慣れたのも大きいだろう。応援の仕方が、キャラクターを強く意識させるようなものだった。(だから、「ラッキー千石」ではキャスト名をコールする声が大きかったのはもったいなかったと思う。オープニングムービーについては、ファーストシーズンから長くキャスト名を呼ぶのに慣れてしまっているので、もうあれで良いんじゃないかなあと考えている。)

 

 ネルケプランニングの松田誠氏は、ドリライの誕生を以下のように語っている。(*2)

 (本公演について)ホームページを使ってルールを周知しました。コスプレ禁止、声かけ禁止、ボード禁止。静かに見ましょう、と。みんないいお客さんですから、約束を守ってくれたのですが、それを見ていたらなんだか可哀相になって。これも不健全だと感じたので、舞台に出演している役者たちによるコンサートを始めました。ミュージカルで言うガラコンサートです。舞台を春と冬にやるとしたら秋にコンサートを開く。この時は「手塚~」「リョーマ~」と叫んでいいので、思いの丈を伝えて発散してくださいと。

 ドリライは、キャラクターの名前を叫んで良い場として生まれたという。ただ、ドリライ1stからセカンドシーズンのドリライ2014年までの間、細かい設定は見られなかったように思われる。そこを、サードシーズンでは原点の発想に戻した。

 

 今回の「ドリライ」は、キャストがキャラクターを演じ、そのキャラクターが‘キャラ’を演じる三重構造だったといえる。だから、「ミュージカル『テニスの王子様』DREAM LIVE 2016」は、「ミュージカル『ドリライの王子様』」なのだ。あれは、『ドリライの王子様』の世界だ。

 

 

(*1)テニミュ3rdシーズン初のドリライを詳細レポ、小越勇輝も「よかったよ」-コミックナタリー http:// http://natalie.mu/comic/news/187850

(*2)プレゼンター・インタビュー:松田 誠(ネルケプランニング) | Performing Arts Network Japan