怪文書

オタクに幸あれ

「トキ消費」と5次元アイドル

「舞台の○○は、ウチの○○じゃないから」。

 以前『刀剣乱舞』ジャンルの友人から聞いたその言葉を、いまだ忘れられないでいる。一体何を言っているのか全くわからなかった。説明してもらいどうにか理解したのは、そのコンテンツが「パーソナライズ消費」を前提にしているということだった。

 

消費行動「モノ」「コト」「トキ」「パーソナライズ」

 所有することに重きを置いて消費活動をする「モノ消費」。モノが溢れ豊かになった社会は、習い事や芸術鑑賞などといった、体験や経験にお金を使う「コト消費」を求めるようになった。

 そして、現在。「コト消費」をより発展させた「トキ消費」という言葉が生まれている。

「トキ消費」とは、体験や経験のなかでも、その瞬間しかできない体験を楽しむというものだ。「コト消費」との違いは、消費者が能動的で、単なる傍観者にはならない点。そして、一人や数人ではなく、大人数でその体験を共有する点だ。現実の、物理的なものだけではなく、SNSを介した体験も含まれるだろう。

 一方で、ニーズの多様化による「パーソナライズ消費」の展開も進む。先日、自分の髪質に合わせたトリートメントを調合してもらったのだが、これは完全に個のための消費行動と言える。パーソナルカラー診断やメイク講座なども同様だ。経験を人と共有する「トキ消費」と、自分だけのために消費活動をする「パーソナライズ消費」は対極にあると言えるだろう。

 

オタクコンテンツと消費行動

 オタクもイチ人間なので、様々な消費行動をしている。グッズ等を買い所有することは「モノ消費」、漫画を読んだり映画を観たりすることは「コト消費」だ。「トキ消費」には、ライブや、発声可能な映画上映などが含まれる。最近流行りの、好きなキャラクターをイメージしたカクテルや香水を作ることは「パーソナライズ消費」に当たるのだろう。

 そのような、現実にカネのかかる消費行動ではなく、作品自体の消費のされ方を考えていきたい。

 

パーソナライズ消費型オタクコンテンツ

 オタク向けの「パーソナライズ消費」型コンテンツ。その顕著なものが、冒頭で挙げた『刀剣乱舞』だろう。ファンの話を聞くに、2次元のキャラクターについては、ビジュアル等の基本設定がざっくりとあるだけで、ファンや各メディアがその中身を補完していいのだという。そのため、「ウチ(=自分の脳内設定)の○○、ヨソ(=他のファンの脳内設定や、アニメ・舞台等の設定)の○○」が存在する。多くのファンが「私にとって最も都合の良い○○くん」を作り上げ、それはそういう存在として受け入れているらしい。ひとりの友人は「自分の○○くんしか受け入れられないのでアニメや舞台は薄目で見ている」と言い、また別の友人は「自分以外のいろいろな○○くん解釈を見たいから、アニメも舞台も同人誌も全部楽しめる」と話す。

 つまり、キャラクターがユーザーひとりひとりに合わせて最適化されることを良しとしているのだ。

 また、最近プレイした『アイカツフレンズ!』のデータカードダスゲームでオリジナルのアイドルを作成したが、このようにキャラメイクができるものも「パーソナライズ消費」型コンテンツだ。萌えのツボは十人十色どころか一人十色。このタイプのコンテンツが世にあふれていることを鑑みれば、「パーソナライズ消費」型コンテンツのニーズの大きさがわかるだろう。

 

トキ消費型オタクコンテンツ

 では、「トキ消費」型コンテンツにはどのようなものがあるのか。そう、『ドリフェス!』である。5次元アイドル応援プロジェクト『ドリフェス!』は、「トキ消費」型コンテンツの師表といえるだろう。上記リンクに書かれている「トキ消費」の特徴と『ドリフェス!』の性質を照らし合わせてみよう。

非再現性

 例として挙げられているアイドルの成長、『ドリフェス!』も、それを見守るシステムだ。アニメでは、アイドルとして成長していく二次元側と、一話ごとに急成長する三次元側の演技が重なる、テニミュ的体験もすることができる。三次元側のパフォーマンスがみるみるうちに巧くなっていくことも、この一瞬を見逃したくないと思わせる、非再現性からの訴求効果だ。

参加性

 同じ目的でひとつの場所に集まり、イベントに参加する。オタクが、いち傍観者でなく、その場を構成する一員になる。さまざまなコンテンツがこのような面を持ったイベントを開催しているので、特に目新しいものではない。

 そのような中、『ドリフェス!』では、三次元の会場に座席が用意されているだけではなく、二次元にも“私たち”が参加すべき場所を設けている。*1 『ドリフェス!』世界のライブポスターには、「There is no age or skill limit to participate this performance.」の一文がある。次元にとらわれず、誰にでも等しく開かれた参加性。そこに魅力を感じているのは私だけではないはずだ。

貢献性

ドリフェス!』が他に例を見ない「トキ消費」コンテンツだと断言できるのは、この貢献性に由来する。

 そのコンテンツの盛り上がりに、自分たちが貢献しているという実感。クラウドファウンディングのように、有無を言わさぬ最強の武器・カネで盛り上がらせるわけではないが、『ドリフェス!』には、ドリカタイムがある。ドリカタイムというのは、舞台上でアイドルが着る衣装をファンが送る儀式だ。これにより、私たちファンは、ライブの“参加者”を超える。ライブの盛り上がりを左右する衣装を、私たちが選んでエールとして送り、それをアイドルが受け取るのだ。もはやライブをともに作り上げる当事者になれる。という世界が徹底して作り上げられている。現実のファンが、二次元に貢献していると錯覚させる手腕が非常に巧みなのである。

 また、三次元のほうに関しては、ライブのメンバー紹介に「お前ら(=ファン)」が含まれることがあった。ファンミーティングのグッズに「FAN & ME」と書かれていた。こちらも、制作側と舞台上からの、参加者の肯定が強烈だ。

 

 非再現性、参加性、そして貢献性。どれに関してもあてはまる『ドリフェス!』は、まごうことなき「トキ消費」的コンテンツである。

 

 世間一般に「トキ消費」がここまで浸透した現代において、なぜ、『ドリフェス!』が「区切」りを迎えなければならないのだろうか。

 私が『ドリフェス!』と出会い、その面白さを理解したとき、なんと時代に即したコンテンツなのだろうと感動したことを覚えている。アイドルものや2.5次元が飽和状態の世に、一石を投じたと言っても過言ではないほど異彩を放っていた。天下を取れる、そう思った。

 だが、そうはいかなかった。「トキ消費」は、大きな市場に成長している一方で、それを好ましく思わない人の意見も多い消費行動だ。渋谷のハロウィンも、インスタ映えも、眉をひそめる人は少なくない。出る杭は打たれるし、流行が文化へ馴染むには時間がかかる。

 自分の周囲にいるオタクの友人たちは、概して「パーソナライズ消費」が好きだ。そして、「トキ消費」にはあまり興味を示さない。要は、そういうことだった。

ドリフェス!』は、「パーソナライズ消費」とは対極にあるコンテンツである。

 キャラクターはアイドル。いちファンである私たちには、彼らをコントロールして自分に最適化することはできない。天宮奏くんはこの世にたった一人だけ。ミッキーマウスなのだ。

 そういった姿勢が肌になじまない人がいて、カネという形での貢献が足りなかった 。だから、「区切り」の日はやってくる。誰に言われなくても、“当事者”の私たちはわかっている。だから足掻くのだ。“当事者”のひとりとして、共犯者をより増やすために。彼らを少しでも楽しい明日へ連れて行けるように。あと一週間、足掻かせてほしい。

 

なので、

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ビビビの信憑性

 30年ほど人間をやっていると、自分の直感にかなりの信頼を寄せられるようになってくる。

 街を歩いているときに見かけたごはん屋が美味しそうだとか、イベントで隣の席になった人と友達になれそうとか。なんとなくそんな気がすると思うと、わりと想定通りの結果になる。人間は、直感だけで、ある程度正確な判断ができるのだ。そして、その直感は、経験を重ねたぶんだけ精度が上がる。


 私が「ビビビ」を感じ取ったのは、ちょうど一年前の今日だった。その直感は日毎に確信めいていき、ファーストライブの円盤*1で「俺のものになって」という言葉を聞いた瞬間、私はもう二度と水色の服を着られないのだろうなと思った。指輪を嵌めることもできないだろう、とも。そして、それは現実になった。

 私の「ビビビ」は、いつでも慥かだ。

DearDream富士山頂ライブ2018レポ

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 富士山に登ろう。

 そう思い立ったのは、昨年の12月。千弦に「次は富士山の頂上で会おうね!」と言われた*1からだ。

 これまでに千弦が何度も口にしていた「富士山」。奇しくもその翌日に山梨へ行った私は、真冬の澄んだ空気越しに霊峰富士を見上げ、強く決心したのだった。「行けぬなら 私が連れてく ほととぎす」。年明けの全国ツアーやそのあとのあれこれを経て、その想いはさらに強くなった。この夏しかない。そう思った。

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 土曜の昼過ぎに5合目を出発。山小屋に一泊し、日曜の出発は3時。無理はせず8合目の途中でご来光を見ることに。ちょうど良い場所があったのでDearDreamにも所構わずご来光を楽しんでもらった。

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 長く続く急な岩場は、手足の短い私にはあまりにも高い壁で、頂上の鳥居は見えているのにどれだけ登っても辿り着かない。空腹で気持ちが悪いのに、少しでも食べたらせり上がってくるので、水と塩こんぶしか入れられない。普段は海まで徒歩3分、海抜体感5センチ(実際は5メートルくらいあるらしい)のところで暮らしているせいか、少し登っただけでも酸素が足りずくたくたになる。体力にも身体能力にも自信はあったはずなのに、5分動いたら休憩をしなければならない。筑波山のケーブルカー山頂駅〜男体山頂上までの30分ほどしか登山経験のない人間に富士山は無謀だったのだろうか。やはり近所の鋸山から慣らしていくべきだったか。

 受験や学校行事のマラソン大会のように、避けられないイベントではない。なぜ、渋滞の中央道を走り山梨へやってきてまで、わざわざこんなつらい思いをしているのか。もう帰りたい。帰りたいけれど、幸か不幸か高山病のこの字もないので逃げる言い訳もできない。しんどさばかりが募る。

 しかし、そこで思い出す。この山をなんのために登っているのかを。「次は富士山の頂上で会おうね!」、そう、3週間前にも聞いたそれを実現させるためだ。横浜で、千弦のその言葉に「わかった!」と大きな声で返事をした。約束したのだ。頂上でDearDreamに会うと。私……イケるっしょ!(イケるっしょ……イケるっしょ……)幻聴が聴こえた。通りすがりの人たちから「がんばれ!」「がんばろう!」という声が聴こえた。これは幻聴じゃない。言葉の通じない異国からの登山者が、笑顔でハイタッチをしてくれた。ありがとう、あたたかいエール! 登山は実質ファンミ回。*2 

 そして、途中の記憶がほとんどないまま、気付いたら山頂にいた。

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 手前が天宮、奥が奥宮。

 

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 山頂には、まさにアクスタを置いてくれといわんばかりのステージが。

 三千数百メートルのところで聴く「PLEASURE FLAG」*3はこの上ない至福だった。

 私の赤血球は酸素よりもDearDreamのことが好きなので、息苦しさと引き換えに、頭のてっぺんからつま先までDearDreamが行き渡る。富士山で摂取するDearDreamはおいしい。美穂子覚えた。 

 

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 ゲストのKUROFUNE。船は無理なのでたぶん馬で来たんだと思う。

 

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 ドリカタ~イム!!!!!!

 富士山頂ライブ、サイコー超えてた。登山にハマりそうだけど、10月22日からの私を山ガールにしないでくれよ。

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限界オタク、推しとハイタッチをする

 さめざめと泣いてしまった。

 炎天下の横浜、人目と暑気から逃げるように飛び込んだカフェで。

「夢路には足も休めず通へども現に一目見しごとはあらず」千年以上昔の言葉を借りてくるしか、この気持ちの表しようがない。

 2018年7月、人類*1は、ついに2次元キャラクターとのハイタッチ会を実現させた。そして私は、人類の代表として、天宮奏くんとのハイタッチを体験した。

 

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 本来2次元に存在しているキャラクターを、3次元に「いる」と感じたことはあるだろうか。

 VR鑑賞は、そう感じさせてくれるひとつの手段である。だが、そもそもVRとはなんなのだろうか。

 日本バーチャルリアリティ学会によると、VR=「バーチャルリアリティ」は下記のように定義されている。*2

バーチャル (virtual) とは,The American Heritage Dictionary によれば,「Existing in essence or effect though not in actual fact or form」と定義されている.つまり,「みかけや形は原物そのものではないが,本質的あるいは効果としては現実であり原物であること」

 バーチャルの反意語は,ノミナル(nominal)すなわち「名目上の」という言葉であって,バーチャルは決して リアル(real)と対をなす言葉ではない

 そもそも人間が捉らえている世界は人間の感覚器を介して脳に投影した現実世界の写像であるという見方にたつならば,人間の認識する世界はこれも人間の感覚器によるバーチャルな世界であると極論することさえできよう

人が何をバーチャルと思うかも重要な要素である.つまり人が何をその物の本質と思うかによって,バーチャルの示すものも変わるのであると考えられる.バーチャルリアリティは本来,人間の能力拡張のための道具であり,現実世界の本質を時空の制約を超えて人間に伝えるもの

 要約すると、バーチャルリアリティとは「時間も空間も超えて繋がっているって感じられる」*3ものなのだ。

 

 私が体験した天宮奏くんとのハイタッチ会は、2次元オタクが住んでいる主観的現実の世界で行われたものではない。

 真夏の横浜、ライブ後に用意された別室、扇風機から送られてくるささやかな風、DearDreamのBGM、周りには同じようには当選したファンが数十人、髪型とメイクと服装を最終チェックできるよう置かれた姿見。スタッフさんからアクセサリーを外して荷物を置くよう注意があって、順番待ちのファンからは見えないようにされた衝立の奥へ進むと一段高いところへ上がるように言われ、天宮奏くんがいて、少し高いところにあるめちゃくちゃにかわいいお顔についているお口からなんか言葉が発せられて、たぶんハイタッチをして、そのあとたぶん手を振ってくれて、そのときにたぶんウインクもしてくれて、いつもはぱっと花が咲くように華やかな笑い方をする人が、まるで私を慈しんでくれているかのように、穏やかな瞳で優しく微笑んでいて、一瞬にも永遠にも感じられるような時間があって、そこから先の記憶がなく、気付いたらカフェの椅子に座っていた。友人に話をしていると涙が溢れて止められなくなった。

 私の脳内で取られた一人相撲では決してない。証人がたくさんいる、明らかな客観的現実。天宮奏くんは紛れもなくREALであった。リアルだけどバーチャルリアリティバーチャルリアリティがリアル。気が狂った。

 いる、と感じられた嬉しさ。ハイタッチした瞬間の、わかってはいたけどもいざ触れてしまうとやっぱり液晶でしかないという遣る瀬なさ。この2つの感情がいっぺんに襲来してくるので、心の中がぐちゃぐちゃになり、泣くしかなかった。

 

 VRの未来については、このような意見がある。*4

人工知能の発達が進む中で、ホログラフィックのようなヴァーチャルキャラクターにAIが搭載される事例は増えていくでしょう。本来存在しないキャラクターがAIという頭脳をもってライブをしたり、お客さんと会話をしたりすることが可能になると思う

 はたして限界オタクはどこまで人間の尊厳を保てるのか。10月21日より先の未来で知りたい。

 

 

 

*1:人類……ドリフェス!の光を浴びた生命体のこと

*2:日本バーチャルリアリティ学会 » バーチャルリアリティとは

*3:

ALL FOR SMILE! 〜DearDream & KUROFUNE ver.〜

ALL FOR SMILE! 〜DearDream & KUROFUNE ver.〜

 

*4:https://cgworld.jp/feature/201710-cgw231HS-dmmdf.html

幸福な承認と、ありのままの私と。

 

「世界一の宝物だよ。今までで一番キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」

 これだけ聞いて、「宝物」は何をさしていると思うだろうか。恋人? 仲間? 違う。

 ファンなのだ。アイドルが、自分たちのライブに来たファンのことを、キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好きだと言う。

 これはドリフェス!アプリの劇中劇に出てくる台詞だ。ドリフェス!プロジェクトの神髄は、この一言に詰まっていると思う。ファンが実際にそう感じているんだから間違いない。ドリフェス!から受け取る“承認”は、ファンをいつも幸せな気持ちにしてくれる。

 

ファンに当事者意識を持たせる

2010年代のオタクは、推しに毎日会えるようになった……!*1

 猫も杓子もソーシャルゲーム化の時代。2次元オタクは、スマートフォンを触りさえすれば、職場のトイレでも“推し”と会えるようになった。

 ドリフェス!は、そんな数多あるソーシャルゲームのひとつだ。だが、おそらく唯一無二といえる偉業がある。それは、2次元オタクにオタクとしての居場所を作ったことだ。

 アイドルはファンに衣装を着せてもらえないと舞台で輝くことができない。客席にファンがいなければライブは成立しない。ドリフェス!に関わっているとき、ファン自身も、“ファンとして”アイドルのステージを作り上げる当事者に仕立て上げられているのだ。

 

 その世界観は、さまざまな展開をするドリフェス!のすべてに共通している。

 思い返せば、ファンミーティング03で販売されていたバッグに「FAN & ME」と書かれていたことが、長く心にひっかかっていた。配信映像で見たファンミーティング02のTシャツには「DearDream KUROFUNE ...and YOU!!」とあった。ライブ会場で、舞台上だけでなく客席も含めてこのメンバーでライブができるのは一回きり、同じライブは二度とない、と強調するところが印象的だった。BATTLE LIVEでのバンドメンバー紹介の最後、「そして……お前らだ!」と呼ばれたことで、涙が溢れそうになった。

 ただし、アニメは完パケ済みのドキュメンタリーという設定なので、ライブの客席にいまの自分を座らせることはできない。また、物理的に参加できる3次元のライブはあくまで3次元での出来事であり、2次元のキャラクターがおこなうライブとは異なった性質を持っている(※DearDreamとKUROFUNEというアーティストは、2次元と3次元にそれぞれパラレルで存在していると考えてほしい)。

 

 しかし、アプリは違う。常に最新の当事者でいられる場がアプリなのだ。

 ドリフェス!アプリのリズムゲームは、ファンである自分が、いま、ライブに参加している設定だ。自分の選んだ衣装が楽曲のイメージに合っているかどうかでライブの盛りあがり方(ゲームのスコア)が変わる。タップがうまくできる、イコール、ペンライトの振り方やコールがうまくできたということになる。ミスが多ければ、ライブを盛り上げられなかったということになる。ファンとしての自分の力(強い衣装を手に入れる財力と運、リズムゲームの技術)が必要とされるのである。

 ドリフェス!界のミスターアイドルこと佐々木純哉くんは言った。「俺をアイドルにしてくれてありがとな!」と。アイドルの道を選んだのは彼自身であり、念願叶ってプロのアイドルになれたのは彼の努力があったからだ。それでも、「アイドルは応援を届けてくれるファンがいないと成り立たない」と言い続け、ファンがその場にいることの正当性を認める。こうしてファンは、マズローの言うところの「承認・尊重の欲求」を満たされるのだ。

 

 

 

ありのままの私の承認

 ドリフェス!のファンは、アイドルの彼らに「大好きだよ」「愛してるぜ!」と言われるために、2次元の美少女に成り代わる必要は一切ない。ドリフェス!の前では、オタクはありのままの自分でいて良いのだ。

 だから私も、千葉に住む平凡な会社員のままで良い。現実を生きる私が、ライブへ行き(リズムゲーム)、友達と会って(フレンドへの挨拶)、ランダムブロマイドを現金で買って(ドリカショップのガシャ)、空き時間に配信番組を見て(チャンネル)、ポスターやぬいの並ぶ部屋(マイルーム)に帰る。時には部屋を片付けて、その日の気分で缶バッジを並べ替える。現実に即したオタク生活を送れるのがドリフェス!アプリだ。しみじみ、ドリフェス!のアプリはシステマティックで無駄がないと思う。なのに、夢が詰まっている。天才。

 そんなフレーズの入った歌が流行ったのももう4年も前になるらしいが、現実の、ありのままの姿で2次元キャラクターを応援できるのは、究極の自己投影といえるだろう。この“承認”により、3次元の自分と2次元の世界が時間も空間も超えて繋がっていると感じられてしまう。普通に気が狂う。

 

 

 私は、自分の承認欲求はかなり満たされていると感じていた。人間関係での悩みもなく、仕事は順調で、SNSともうまく付き合えている。

 ただ、2次元からの承認だけは諦めるしかなかった。どれだけ好きな2次元のキャラクターがいても、3次元に生きる私そのものの存在を認められて、大切だと言われるなんてことはありえない。この昇華しきれない想いを一生抱えていくしかないと思っていた。

 その考えが、ドリフェス!と出会って一変した。ただのオタクである私を、「キラキラしててキレイで温かくてかわいくて大好き!」と、「ライバル」と、「オレたちの夢」だと言ってくれた。ただのオタクに、居心地の良すぎる場を作ってくれた。好きという気持ちを肯定して、受け止めて、返そうとしてくれる。

 ドリフェス!の好きなところを挙げたらきりがないけれど、私は、ありのままの自分でいられる心地良さが一番好きだ。

 

 

 2週間、どうしたいのか、何ができるのかをたくさん考えた。

 私の願いは、自分が大好きで、ものすごく幸せを感じさせてもらっているこのプロジェクトを、他の誰からも「失敗だった」と思われたくない、というものが一番大きいらしい(というのは綺麗事で、私の居場所であるドリフェス!終わらせないでほしいのが第一)。

 この幸福な“承認”を消えさせたくない。他の多くの人にも感じてほしい。だからちょっとだけ、ドリフェス!にふれてほしい。自分自身に対する価値観が変わると思う。

 

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